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東郷槇山城(福井県福井市) [古城めぐり(福井)]

IMG_7554.JPG←道路脇の本丸石垣
(2005年3月訪城)
 東郷槇山城は、越前の大名朝倉氏が築いた山城である。朝倉氏は、南北朝時代に足利氏の一門斯波氏に従って越前に入部した豪族で、朝倉氏3代氏景の次男正景は15世紀の前半に一条家の荘園であった東郷荘を預けられて東郷下総守を称しており、この頃築城されたと考えられている。その後、応仁の乱の中で朝倉孝景が西軍で奮戦し、1471年に東軍への寝返りの見返りとして越前の守護権行使を認められた。そして朝倉氏が本拠を一乗谷に移すと、槇山城はその支城となった。1573年、織田信長が朝倉氏を滅ぼすと、越前北の庄城に重臣の柴田勝家を入れ、槇山城は勝家の持ち城となった。勝家滅亡後の1584年、豊臣秀吉の家臣長谷川秀一が槇山城主となり、15万石を領した。秀一が朝鮮(文禄の役)で陣没して家名が絶えると、北の庄城の丹羽長秀の次男長昌が城主となった。長昌は、関ヶ原の戦いの時に西軍に付いた為、戦後所領を没収され、槇山城も廃城となった。

 東郷槇山城は、標高122m、比高100mの城山に築かれており、現在、主城部が公園として整備されている。二ノ丸は駐車場となり、その南の三ノ丸に相当する千畳敷は広場に変貌しているが、本丸はほぼ往時の遺構を残している。周囲に腰曲輪が付属し、本丸下方の車道沿いには石垣も残っている。これは朝倉氏時代より後の改修によるものだろう。一方、千畳敷の南側には土塁が築かれているが、植栽で改変されてしまっている。その南側に小堀切があり、更にその南にも大堀切があるが、車道が通っていて破壊を受けている。この他に、更に北東側の小峰に出丸の曲輪群があるが、未踏査である。北麓の三社神社の脇に大手口があり、入ってすぐのところにも3段程の大手郭群がある。破壊を伴う整備のされ方の問題もあるが、城の縄張りとしてもややパッとしないオーソドックスな山城である。
大堀切跡→IMG_7572.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.011521/136.275818/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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ねじまき鳥

ここは行きました。
結構おおきかったです。
by ねじまき鳥 (2012-10-16 21:43) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
遺構が破壊されているのは残念ですが、
車で上まで登っていけるので、
時間もかからず楽でいいですよね。
by アテンザ23Z (2012-10-17 01:45) 

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