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七戸城(青森県七戸町) [古城めぐり(青森)]

DSC07462.JPG←角館の堀跡
 七戸城は、奥州の名族南部氏の庶流七戸氏の居城である。その創築は明確ではないが、鎌倉時代末期には執権北条氏の被官工藤氏の城であったとも言われている。鎌倉幕府滅亡後の1335年、根城南部氏5代政長に七戸が与えられ、南北朝時代には根城と共に奥州南朝方の拠点となった。その後、8代政光が七戸氏の祖となってその系統は戦国末期まで続いた。七戸城は南部氏所領の北部に位置し、北の安藤氏に対する防衛拠点として重視されたと考えられている。室町時代中期の1456年、蠣崎蔵人の乱の時に七戸城は攻め落とされ、以後、七戸南部氏の勢力は急激に低下したとされる。1591年、九戸城主九戸政実が宗家の三戸城主南部信直に叛した時(九戸政実の乱)、七戸家国も政実と結んで叛し、豊臣秀次を総大将とする奥州仕置軍に攻め滅ぼされ、七戸南部氏は断絶した。その後、豊臣秀吉の命で城は破却されたが、その重要性から改めて七戸氏が置かれた。江戸時代前期の1664年、七戸重信が盛岡城の南部宗家を継いだ為、七戸城は南部藩の直轄地となり、城内に代官所が置かれて幕末まで至った。

 七戸城も、九戸城・根城などと同じく、極めて広大な城域を有した段丘上の城で、群郭的に外郭を配置した縄張りとなっている。その遺構は、石垣を持たず、土塁と堀で分断防御した中世城郭的色彩を色濃く残している。本丸の堀はほぼ湮滅しているが、二ノ丸や宝泉館・北館・角館等の外郭にも堀跡が良好に残っている。北側の外郭である貝ノ口にも、台地基部を横切る土塁と堀がわずかに残っており、現在発掘調査中の様であるがは、浅い堀には畝の様な物が見られ、もしかしたら畝堀だったのかもしれない。近世まで使われた城の為、どこまでが戦国時代の遺構かは判然としないが、遺構がなかなか素晴らしい。国指定史跡として現在も整備が続いている様なので、更なる整備に期待したい。
貝ノ口の土塁と堀跡→DSC07518.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/40.698267/141.150059/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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