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一升桝遺跡(神奈川県鎌倉市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00098.JPG←台形曲輪の土塁
 一升桝遺跡は、HP「土の古城探訪」では「一升枡陣城」と呼称され、鎌倉時代後期に築かれた鎌倉の交通路を監視・防衛する防御施設と考えられている。極楽寺地区と大仏切通を結ぶ尾根筋にあり、標高約90mの位置に築かれている。南に位置する五合桝遺跡と共に、鎌倉を囲む馬蹄形連丘の内、西方面を防衛していたと考えられている。1333年5月の新田義貞の鎌倉攻めでは、義貞軍は軍勢を3隊に分け、化粧坂口・巨福呂坂口・極楽寺坂口の3道から一斉に攻めかけた。つまり主戦場は鎌倉西部の山稜であり、その只中に位置していた一升桝遺跡も、この時重要な攻防の場となったことが推測される。

 一升桝遺跡は、五合桝遺跡に比べるとかなり遺構が明瞭で、重厚な防衛陣地となっていたことがその遺構から推測できる。遺構は、標高99mの山稜頂部から100m程南に下った尾根の分岐点に構築されており、土塁で囲まれた台形の曲輪がはっきりと残っている。この曲輪の南西角には虎口があり、そこから尾根道を下って行くと、途中に木戸口跡や平場・土塁などがあり、更にその下まで降って行くと、山麓の虎口遺構が残っている。一方、台形の曲輪の南東側にも古道の通る木戸口らしい遺構があって。古道は曲輪の東側下方を抜けており、台形の曲輪は古道を監視していたことがよく分かる。台形の曲輪の北東部の土塁は一段高くなっており、櫓台があったと考えられる。この曲輪の北側は一段高い平場になっているが、冬でも笹薮が酷く遺構が判然としない。その背後には土塁と掘切が明瞭に残っている。その上の山稜頂部は自然地形である。中世鎌倉を守る防衛陣地として鎌倉幕府の築いた貴重な遺構であり、国の史跡に指定されているので、今後の整備に期待したい。
堀切→DSC00138.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.314469/139.527816/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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