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大塩中山城(福島県金山町) [古城めぐり(福島)]

DSC02439.JPG←ニノ郭と主郭
 大塩中山城は、横田中丸城主山ノ内氏の支城である。家臣の菅家太郎左衛門善高が城代であったと伝えられている。1589年、摺上原の戦いで会津の戦国大名葦名氏を滅ぼした伊達政宗は、奥会津にその勢威を伸ばした。しかし山ノ内氏勝は政宗に従わず頑強に抵抗した為、正宗は降った布沢氏らを先鋒として横田中丸城を攻撃した。氏勝は、横田中丸城を捨ててより峻険な水久保城に籠城し、菅家善高に籠もらせた大塩中山城と共に徹底抗戦した。しかし間もなく豊臣秀吉の小田原の役となり、秀吉は奥州諸侯に参陣を求め、その後の奥州仕置で不参の奥州諸侯を悉く改易した。小田原に出向かなかった山ノ内氏もこの時没落した。

 大塩中山城は、本城の横田中丸城から西北西3.5kmの地点、只見川北側の標高564.7m、比高219.7mの要害山上に築かれている。比高110m付近の南側中腹に広がる根古屋地区と思われる緩斜面と、山上の要害部と、城域は大きく2つに分かれている。麓から伸びる山道を登って行くと、中腹の根古屋の西側下方には登城道沿いに土塁と空堀らしき遺構があり、水ノ手池跡と思われる窪地も残っている。その上にある居館が置かれたと思われる平坦地は、結構な広さがある。そこから先は道が途絶しているので、斜面を直登して山上の要害部に達する。要害部は、主郭・二ノ郭に2つの腰曲輪から成る小規模なものである。いずれの曲輪も土塁はほとんどないが、虎口は明瞭で、どれも小さな内枡形になっている様だ。主城部からやや離れた南尾根の所に堀切があるが、これまた規模が小さい。全体に遺構は残っているが大した規模・構造ではなく、戦国末期に実戦使用された城としてはやや物足りなさを感じる。途中で道が消えるのも辛い。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.401733/139.416536/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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