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笹下城(神奈川県横浜市港南区・磯子区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00122.JPG←本丸付近の切岸
 笹下城は、小田原北条氏の重臣間宮氏の居城である。間宮氏は、近江源氏佐々木氏の庶流で伊豆馬宮を本貫としていた。伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆を平定すると、間宮氏は宗瑞に従って相模東進の先鋒を務めたと言われている。1510年の権現山合戦では、間宮彦四郎(信冬、またはその子信盛と言われる)は宗瑞に呼応して上杉氏に叛し、首謀者の上田政盛と共に権現山城に立て籠もって勇戦した。以後、間宮氏は小田原北条氏麾下の相模衆14家の筆頭となり、信盛の子間宮信元は笹下城を築いて川崎の居館から移り、居城とした。信元は、笹下城の周囲に杉田陣屋森陣屋氷取沢陣屋松本城などを構え、安房里見氏の侵攻に備えた。1590年の小田原の役の際には、間宮豊前守康俊は箱根を押さえる最重要拠点の山中城に入って、前衛となる岱崎出丸で寡兵を物ともせず力戦して討死した。この奮戦に感じ入った徳川家康は、関東入部後に間宮一族を多数召抱えて家臣とした。江戸時代にはその一族から、間宮海峡を発見した間宮林蔵や、解体新書を著した杉田玄白を輩出した。

 笹下城は、港南区・磯子区にまたがる広い台地に、複雑に谷戸が入り込んだ地形を利用して築かれていた。現在は市街化により遺構の湮滅が進んでいるが、地勢は健在で、大まかな城郭配置が確認できる。台地東麓を流れる笹下川を天然の外堀とし、成就院背後の台地上に本丸を置いていたと考えられている。成就院の東側には空堀跡とされる地形が残る他、IHI笹下団地の中には武者走り跡、北の環状2号線沿いの笹下中央公園には犬走り跡の地形が残るとされる。また、御下公園は下屋敷跡、若宮八幡宮背後の台地は若宮曲輪跡で、笹下川に架かる元笹下橋が笹下城の総門跡とされる。笹下城から森陣屋方面には「森道」と呼ばれる間道もあり、現在でも車道として残り、往時の雰囲気を残している。城域は広範にわたり、一通り見て回るには数時間を要する。遺構はほとんど無いものの地勢が往時の雰囲気を良く残しているので、街中の湮滅遺構としては中々楽しめる。しかしせめて各所に解説板が欲しいところである。尚、港南区役所HPの「歴史の散歩道~こうなん道ばたの風土記」に、笹下城の遺構が詳しく記載されている。
武者走り跡→DSC00121.JPG
DSC00174.JPG←総門跡の元笹下橋
森道→DSC00170.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.387738/139.598089/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
    (本丸付近)
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