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梶原景時館(神奈川県寒川町) [古城めぐり(神奈川)]

DSC09580.JPG←土塁と堀跡
 梶原景時館は、一宮館とも呼ばれ、鎌倉幕府創業の功臣梶原景時の館跡とされている。石橋山の戦いで大敗して山中に隠れた源頼朝を、平氏方の大将大庭景親が捜索した際、景時は密かに頼朝を見逃して助けたことで、頼朝が鎌倉に入った後、その寵遇を受けることとなった。景時は、荒くれの多い坂東武者には珍しい能吏であったが、一方で冷徹に過ぎる態度から多くの鎌倉武士の反感を買う事となった。 その為、頼朝没後、結城朝光が「忠臣は二君に仕えず」と言ったのを頼家に謀反を図ろうとしていると景時が讒言したことで、御家人連名での景時弾劾状が奏請される事態となり、結局滅ぼされることとなった。また、源平合戦の折には軍監として源義経に従い、何かと暴走しがちな義経と事々に対立して、結局義経滅亡の元凶となってしまった為、判官贔屓の後世からは悪役として捉えられてしまっている。しかし鎌倉幕府の創設に当たってはなくてはならなかった人物であった。景時は一宮を所領としており、この地に館を構えたと言われている。1199年11月、弾劾されて鎌倉を追われた際、景時は一族郎党を率いて一宮館に引き上げたが、翌年の1月20日に再起を期して一族を率いて上洛の途に就いたが、追討されて清美関で滅ぼされた。

 一宮の梶原景時館は、おそらく景時の館跡とされる城館としては最も遺構が明瞭である。現在は畑地の中にわずかに土塁と堀跡が残存しているに過ぎないが、昭和初期まで遺構が明瞭に残っていたと言い、国土変遷アーカイブの昭和20年代の航空写真でもほぼ方形の居館跡がはっきりと確認できる。近くには梶原氏一族郎党(七士)の墓もあり、その背後の水路は内堀の名残りとも言う。館跡の南西部にある天満宮に石碑と解説板が建っている。鎌倉幕府創業の功臣の遺蹟として貴重である。
梶原氏一族郎党(七士)の墓→DSC09591.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.364862/139.382772/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:居館
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