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山中幸盛屋敷(島根県安来市) [古城めぐり(島根)]

DSC05230.JPG←屋敷地の平場
 山中鹿介幸盛は、尼子氏の庶流山中氏の出で、幼少の頃より主家尼子氏に仕えた。武勇に優れ、尼子十勇士に数えられた武将で、尼子氏再興を願って「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという故事で有名である。16歳の初陣で山名方の菊池音八を討ち取り、1565年に毛利元就が月山富田城を攻めた折には、毛利方の益田越中守藤包の家臣品川大膳を一騎討ちで討ち取った。1566年に尼子義久が元就に降服した後は、新宮党の流れを汲む尼子勝久を担ぎ出して尼子氏再興運動を始めて、織田信長の力を借りて毛利攻めの戦陣に立つなど、毛利方を散々に悩ませた。しかし、信長の命で中国攻略の司令官羽柴秀吉が軍勢を引き上げると、幸盛らの軍勢は上月城で孤立し、尼子勝久は自害し、幸盛は捕らえられて護送途中、阿井の渡し場で謀殺された。これは吉川元春が幸盛の存在を危険視したからと言われている。

 山中鹿介幸盛の屋敷は、月山北支尾根の北麓にあり、現在民家裏に高台となって残っている。谷戸に築かれた屋敷で、奥まった部分は何段かの平場となっているが、遺構かどうかはわからない。平場以外のはっきりした遺構を持った屋敷跡ではないが、あの山中鹿介の屋敷地とあれば寄らない訳にはいかないだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.366831/133.187760/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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evergreen

同じような境遇でも、山中幸盛に比べて、
大名なった亀井茲矩は、あまり有名でないので残念な気がします。
後に亀井氏が入った津和野が好きな事もありますが。




by evergreen (2011-09-29 09:45) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
津和野城もいつか行きたいですね~。
山上の石垣が素晴らしいみたいですね。
by アテンザ23Z (2011-09-29 19:26) 

山陰観光ロマン人

 でもやっぱ安来の古事記神話の話も聞きたいな。
by 山陰観光ロマン人 (2012-02-11 20:32) 

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