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三崎城(神奈川県三浦市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC02656.JPG←青少年会館東側の土塁
 三崎城は、小田原北条氏配下の三浦水軍の拠点である。元々は相模の豪族三浦氏が、累代の居城新井城の背後を守る重要な支城として戦国時代に築いたと考えられる。ここを拠点として三浦水軍が組織され、新井城が伊勢宗瑞の攻囲に3年にもわたって持ちこたえたのは、この水軍による所が大きかったと考えられる。三浦氏滅亡後は小田原北条氏の支城となり、横井越前守を城代としたのを始め、三浦氏旧臣の三崎十人衆を取り立てて、安房の里見水軍に対する重要な防衛拠点とした。後、北条一族の氏規が城主となったことからも、その重要性が窺われる。1590年の小田原の役の際には、氏規の家臣山中上野介が城を守ったが、北条氏滅亡と共に廃城となった。

 三崎城は、現在三浦市役所や三崎小・中学校等の敷地に変貌し、遺構の湮滅が進んでいるが、断片的に土塁や切岸の遺構が明瞭に残っている。三浦市体育館のある場所が本丸に当たり、その前の車道に沿って一直線に土塁がある。土塁の中では、青少年会館東側のものが規模が大きく見応えがある。周辺の道は、見るからに空堀・堀切や竪堀の名残りと思われる。また広い谷戸状の低地(往時の空堀跡)を挟んで西側の三崎小・本瑞寺・光念寺も城域で、空堀跡が道路となって残り、道路両側に切岸が残る他、寺の境内に土塁が残っている。これらを巡ると、かなり広い城だったことが判る。三崎城のある城山の東麓には北条湾の入江があり、水軍船の泊地として理想的な位置で、水軍城として最高の立地条件である。市街化されているのが惜しいが、残った遺構を大事に保存していってもらいたい。
慰霊堂脇の堀切跡→DSC02668.JPG
DSC02726.JPG←三崎小周囲の切岸

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.143617/139.621629/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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