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戌山城(福井県大野市) [古城めぐり(福井)]

IMG_6114.JPG←大堀切の一部
(2004年9月訪城)
 戌山城は、越前守護を歴任した三管領家の一、斯波氏の一族の居城である。斯波氏は足利一門でも最高の家格を持つ家柄で、鎌倉時代には足利尾張守家と呼ばれ、宗家同様足利を姓としていたほどであった。南北朝時代に斯波高経は、足利尊氏・直義に従って新田義貞を討ち取るなどの戦功を挙げて越前守護となり、また室町2代将軍足利義詮の時、高経は管領となった幼い息子義将の後見として幕政を主導した。この頃に高経は三男義種を大野郡司に任じ、義種は戌山城を築いて居城としたと言う。その後、応仁の乱で斯波氏が没落し、代わって朝倉孝景が越前守護代となって越前の実権を握ると、孝景は弟経景を戌山城に配し、以後戦国末期に景鏡が亥山城に居城を移すまで、朝倉大野郡司家の歴代の居城となった。1573年に織田信長が朝倉氏を滅ぼし、その後更に越前一向一揆を殲滅すると、金森長近を大野に封じた。長近は当初戌山城に入ったが、間もなく越前大野城を築城して移り、戌山城は廃城となった。

 戌山城は、大野盆地の西端、標高324.6m、比高140m程の犬山山頂に築かれた山城である。山頂に主郭を置き、三方の尾根に曲輪群を配した縄張りで、各尾根筋は大規模な複数の堀切で遮断している。この大堀切はいずれも豪壮なもので、はっきりとは覚えていないが深さ10mはあったと思う。主郭は大した規模ではなく、管領家の一族の城としては小さいという印象である。また主郭周囲には畝状竪堀が敷設されて、防御性を高めている。南尾根の先には出丸もあるが、訪城時は行かなかった。

 尚、この城を訪れた時は、晩夏で巨大なジョロウグモが薮の至る所に巣を張り巡らしており、夏の山城の恐怖を身に染みて味わった城でもある。クモの巣を振り払いながら主郭まで辿り着くのが精一杯で、あまりのクモの多さに畝状竪堀の確認なども満足に出来ず、這々の体で城を降ることとなった。この城以来、真夏の山城には行かないことに決めている。

 とにかく、あまりまともに遺構の確認が出来なかった城なので、機会があればぜひ再訪したい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.983702/136.472973/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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