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駒寄城(福島県南会津町) [古城めぐり(福島)]

DSC03783.JPG←段々に築かれた曲輪群
(2010年12月訪城)
 駒寄城は、伊南郷の豪族河原田氏の居城である。河原田氏は、鴫山城主の長沼氏と同じく下野の大族小山氏の庶流で、元は下野にいたが、1189年の源頼朝の奥州合戦の功でこの地を賜り、入部して駒寄城を築いたと言われている。その後、時代が下って戦国末期には、伊達政宗が摺上原の戦いで会津の戦国大名葦名氏を滅ぼして、奥会津へ勢力を伸ばしてくると、伊達氏に降ることを潔しとしなかった河原田盛次は狭い駒寄城を捨てて、新たに伊南川の対岸に久川城を築いて、伊達氏に抵抗したと言う。その後は、河原田氏が豊臣秀吉の奥州仕置で改易になると、廃城になったと思われる。

 駒寄城は、要害山山上にある詰城(駒寄要害山城)に対して山麓の居館(根古屋)に相当する。伊南中学校南側の比高20m程の山裾の高台にあり、幾つもの平場が段々に築かれている。基本的には長方形に近い形状の曲輪を、縦横に配置した構造で、まるで住宅団地の様である。大手口は北側にあり、大手道に沿って櫓台が築かれて、虎口の防備を固めている。南東の最上部には櫓台を設けた主郭があり、空堀で区画されているが、それほど規模の大きなものではなく、二ノ郭背後の土塁も含めてそれほど厳重に防備を固めた印象ではない。また、二ノ郭には謎の貯水池らしい地形があり、これは後世の改変によるものかもしれない。いずれにしても、城というよりは屋敷地という方が相応しい城で、あくまで戦時には山上の詰城に拠ることを前提とした造りである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.171397/139.527987/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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