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手取川古戦場(石川県白山市) [その他の史跡巡り]

IMG_5533.JPG←手取川の風景
(2004年8月訪問)
 手取川古戦場は、織田勢が上杉謙信と激突した古戦場である。1577年、上杉謙信は能登に侵攻し、能登畠山氏の居城七尾城を攻囲した。畠山氏の重臣長続連は、子の連龍を安土に派遣して織田信長に援軍を求め、謙信の勢力伸張を阻止したい信長はこれに応じ、重臣の柴田勝家を総大将とした軍勢を七尾城に派遣した。その間に七尾城では、親上杉派の遊佐氏、温井氏らが謙信に内応し、さすがの堅城も陥落した。七尾城落城を知らずに行軍していた織田勢に対し、織田勢の接近を知った謙信は、南下して松任城に入って戦機を待った。手取川を越えたところで七尾城の失陥と上杉勢の接近を知った織田勢は、形勢不利と判断。総大将の勝家は夜陰に紛れての全軍撤退を下知したが、謙信はこれを奇襲し、一気に駆逐した。織田勢は増水した手取川の渡河に手間取り、多数の兵が上杉勢に討ち取られたという。この大勝で、謙信は「(織田勢は)案外に手弱の体で、この分なら(信長を討ち破って)天下までの道のりは心安いことだ」と豪語したと伝えられている。しかしこの戦いの後、越後に戻った謙信は翌年3月に卒中で急逝し、信長の覇権を許すこととなった。

 手取川の戦い(湊川の戦いとも言われる)の規模・内容には諸説あり、一般的に言われているのが上記の内容である。戦いの経過がこの通りならば、上杉謙信はやはり戦の天才で、織田勢の斥候を悉く潰して情報漏洩を阻止しつつ、驚くほどの速さで織田勢の前面まで進軍し、織田勢の動きを察知すると、直ちに奇襲を掛けてこれを蹴散らすという完璧な戦術であった。謙信最後の輝きを放ったこの戦いの場は、今では風光明媚な大河の流れに彩られている。
古戦場の石碑→IMG_5537.JPG

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.478750/136.479388/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:古戦場
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