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芦野城(栃木県那須町) [古城めぐり(栃木)]

DSC06375.JPG←本丸から見た曲輪群と堀切
 芦野城は、那須七騎の一、芦野氏の居城である。芦野氏は、那須与一宗隆7代の孫加賀守資忠の3男日向守資方が正平年間(1346~1370年)に芦野氏を継いだことに始まるとされる。吾妻鏡などに拠れば、それ以前に既に地頭の芦野氏がこの地にあり、芦野館と言う居館に住んでいた。室町時代に入り関東が動乱の時代を迎えると、芦野氏は応永年間(1394~1428年)に第2の居城としてより要害性の高い館山城を築いて移った。更に、狭隘な館山城からより広大で堅固な第3の居城芦野城を築いて移ったと言う。築城時期には2説あるが、天文年間(1532~55年)に芦野資興が、太田道灌の兵法を学んで築いたという説が有力である。1590年の小田原の役の際には、主家那須氏は豊臣方に参陣せず改易の憂き目に遭ったが、芦野氏は大田原氏・大関氏らと共に参陣した為に本領安堵され、後に徳川家康に従ったことで、江戸幕府の交代寄合となって芦野城に陣屋を構え、幕末まで存続した。

 芦野城は、御殿山と呼ばれる山に築かれた山城で、比高40m程の台地上に陣屋の置かれた広く平坦な二ノ丸を置き、更にその上10m程の高さの高台に本丸を初めとする曲輪群をL字型に並べた構造である。この高台部分を仮に要害部と呼ぶとすると、要害部の構造は中世山城そのもので、5つの曲輪を堀切で分断し、更に外周に腰曲輪・横堀を設けた構造となっている。基本的には主家那須氏の本城烏山城に類似する縄張と考えてよい。堀切はいずれも深さ3~5m程もあるしっかりしたものである。最も東側の曲輪の外周には横堀が築かれて、谷戸からの敵の侵入を阻止している。また陣屋跡の二ノ丸には虎口・馬出しなどの土塁が明確に残り、往時そのままの風情を残している。陣屋表門であった虎口の下には竪堀も配置されて、虎口の防御を固めている。東側の一部に破壊の跡があるものの、遺構はほぼ完存しており、素晴らしい遺構である。
最東方の曲輪外周の横掘→DSC06427.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.10.2.7N36.59.6.0&ZM=9
     http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=365917&l=1400952
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ねじまき鳥

ここは去年行きました。竪堀がなかなかだった。
by ねじまき鳥 (2011-02-09 02:00) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
その通りですね。虎口脇を固める竪堀はわかりやすいですね。
竪堀って、なかなか綺麗に残っていないことが多いのですが。
by アテンザ23Z (2011-02-10 00:15) 

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