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犬山城(愛知県犬山市) [古城めぐり(愛知)]

IMG_5270.JPG←山上に聳える国宝天守
(2004年4月訪城)
 犬山城は、国宝4天守の一つとして有名である。1537年に、尾張守護代織田氏の庶流織田信康(織田信長の叔父)によって、木之下城より城を移築したと言われている。犬山城の築かれた山は背後に木曽川を控え、木曽川の渡河点に当たるほか、濃尾平野を一望の下に収める絶好の陣場でもあり、中山道・美濃街道を制する要地でもあったため、戦国時代を通して争奪の的となり、幾多の城主の変遷を迎えた。1547年、信康の子信清は、織田信長に反抗したため城を追われ、信長の家臣池田恒興が城主となった。その後、信長が本能寺の変で倒れると、1584年に豊臣秀吉と徳川家康との間に小牧・長久手の戦いが生起した。この時の犬山城主は織田信雄の家臣中川定成だったが、旧城主で秀吉方の池田恒興が城を急襲して攻め落とし、秀吉が入城して本陣となし、小牧山に拠る家康と対峙した。その後も城主は代わったが、1609年に徳川義直が清洲城主となると、その補佐役の平岩親吉が犬山城主となった。1617年には尾張徳川家の付家老成瀬正成が城主となり、成瀬氏の居城として幕末まで存続した。

 犬山城は大きな城ではないが、コンパクトにまとまった縄張に、非常に均整の取れた天守を戴いている。本丸の背後は木曽川に望む断崖になっており、いわゆる「後堅固の城」の典型例である。本丸に至る大手道の石段は広く直線的で、防御性には問題があるので、太平の世の近世城郭となってからの改修によるのではないかと想像される。大手道の両側には杉の丸、樅の丸などの曲輪が連なり、石垣で囲まれている。外郭は破壊が進んでいるが、山麓には空堀が中世城郭さながらの雰囲気で残っている。犬山の城下町も、古い町並みが残っていて風情がある。非常に印象深い城の一つである。
樅の丸の石垣→IMG_5244.JPG
IMG_5267.JPG←山麓に残る空堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.388062/136.939623/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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