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高崎城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

DSC02677.JPG←南側の高土塁
 高崎城は、徳川家康の重臣井伊直政が築いた近世城郭である。元々この地には、鎌倉時代に和田正信が築いた和田城があった。和田氏は、室町時代には上野守護も兼帯した関東管領山内上杉氏に従い、小田原北条氏によって山内上杉氏が越後に追われると、甲斐武田氏に臣従。その後、武田氏が滅びると北条氏に従ったが、1590年の小田原の役で北国勢の大軍に降り、廃城となった。北条氏滅亡後、関東に入部した徳川家康は、1598年に中山道が開通して碓氷峠の戦略的重要性が増すと、同年、これを押さえる拠点として井伊直政に命じて、和田城の故地に高崎城を新たに築かせた。直政はその後、関ヶ原の戦功によって在城わずか2年半で近江佐和山に移ると、蒼海城主諏訪頼水が5年間所管するなど城主の幾多の変遷を経て、高崎藩主の居城として幕末まで存続した。

 高崎城は烏側東岸に築かれた城で、明治期に他の多くの城と同様、城内に陸軍の兵舎が置かれたため、城内の遺構は隠滅している。しかし三ノ丸周囲の土塁と水堀が、ほぼ全周にわたって見事に残っている。この土塁と水堀は、最外郭に当たる為か、1ヶ所突出部を設けるほかはほとんど直線的に配置されている。土塁は一様な高さではなく、南側の方が高くなって規模も大きく、5m程の高さがあって見応えがある。それ以外では、本丸に4つあった隅櫓の内、乾櫓だけが現存し、三ノ丸土塁上に移築されている。市街化によって往時の面影はかなり失われているものの、外郭だけが見事に残る近世城郭である。

 尚、城の西に架かる和田橋のたもとに和田城の唯一の遺構の櫓台土塁が残っているそうだが、今回は見逃してしまった。いずれ再訪してみたい。

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.0.26.5N36.19.15.6&ZM=9
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らんまる

高崎城は遺構がほとんど無いと聞いていたので攻城は諦めていましたが意外とあるんですね。
太田市にある金山城は今年の春に訪れました。日本100名城?知らなかった(笑)名も無き山城こそ私たちが後世に伝える貴重な史料だと思ってますが・・。後北条氏関連の城跡も歴史の生き証人だと思えてなりません。
by らんまる (2010-09-10 23:07) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
まったく同感です。
こうした山城が、日本の歴史の生き証人だったと思うと感慨深いものがあります。特に北条氏は滅んだ為に、その歴史が正確に伝わっていない部分が多く、城も多くが破却されて埋もれてしまっていますので、なおさら貴重だと思います。
by アテンザ23Z (2010-09-10 23:53) 

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