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沓掛城(愛知県豊明市) [古城めぐり(愛知)]

DSC02407.JPG←諏訪曲輪に掛かる木橋と堀
 沓掛城は、桶狭間の合戦前夜に今川義元が軍議を開いたことで知られている。日本城郭体系では1394年に藤原義行によって築かれたとされるが、現地解説板では1325年に近藤宗光が初代として築いたと記している。どちらが正かはよくわからない。9代目景春の時、織田信長に謀反した鳴海城主山口左馬助に落とされ、以後今川方に属した。1560年の桶狭間の戦いで信長はこの城を攻め落とし、城主景春は戦死した。戦後恩賞として簗田出羽守に与えられ城は整備された。出羽守が加賀国に移った後、織田信照が継ぎ、1577年には川口久助が城主となった。1600年の関ヶ原の戦いで石田三成に味方することになった久助は捕えられ、伊達政宗に身柄を預けられた。その後廃城となったと言う。

 沓掛城は現在、本丸と二ノ丸・諏訪曲輪が公園となって保存されている。本丸周囲の堀や土塁が良好に残るが、本丸自体の規模は小さく、周囲の曲輪を合わせても栃木の上三川城の本丸程度の大きさしかない。その規模から考えて、おそらく元は小土豪の居館レベルだったのだろう。本丸の西側の土塁は幅が広く、櫓台を兼ねていた様である。また本丸東側には堀に面して武者走りがあったようである。本丸と二ノ丸は土橋で連結され、二ノ丸周囲は掘で防御されている。現在駐車場になっている本丸北側は周囲の帯曲輪の一部だったようで、堀を挟んで本丸とは木橋で繋がっていたようだ。本丸西側の諏訪曲輪は本丸より高所に位置し、これも本丸土塁と木橋で繋がっていたようである。諏訪曲輪は非常に小さい曲輪なので、物見台の機能を持っていたのかもしれない。本丸南西側の曲輪は現在慈光寺という寺になっている。

 桶狭間前夜に今川義元が宿泊した城と言うことで、歴史上非常に重要な城であるが、城が小さくてちょっとがっかりである。駅からかなり離れていてバスもほとんど通らない場所なので、往復2800円もかけてタクシーで行ったのに・・・。
本丸周囲の堀→DSC02409.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E137.1.29.1N35.3.56.6&ZM=9
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コメント 4

fuzzy

支城レベルなのでしょう、あまり大規模な城を造ると、落され敵方に渡った時厄介な存在になります、あくまで前線基地の位置付けであった城だと思います。公園として保存されているのは良いことですね。
by fuzzy (2010-01-13 17:36) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
なるほど、境目の城ですからそうかもしれません。
かわいそうなのは、大国に挟まれて翻弄される境目の小領主ですね。
by アテンザ23Z (2010-01-13 21:02) 

ノリパ

お疲れ様です。その2,800円は無駄じゃないデス。
アテンザ23Zさんのお城にかける情熱が伝わります。
そうですよネ。それがしもそうデスから・・・ 
キャッスラー、お城マニア・・・ お城バカ・・・  それがしも同じです。
でも、アテンザ23Zさんには負けますネ。
by ノリパ (2010-01-16 18:36) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
いやぁ、私なんかただの城キチですね。
ここなんかは史上有名な城なので、
タクシー使ってでも行かないとと思ったのですが・・・。
う~ん・・・。
by アテンザ23Z (2010-01-18 20:03) 

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