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国府台城(千葉県市川市) [古城めぐり(千葉)]

DSC00056.JPG←一応、空堀と土塁跡です
 国府台城は、江戸川左岸の標高25m程の台地上に築かれた平城である。築城時期ははっきりしないが、1456年に千葉実胤・自胤兄弟が古河公方足利成氏に抵抗して立て籠もった「市河城」を国府台城と比定する説や、1478年に太田道灌が長尾景春に呼応した千葉孝胤を攻めた際に築いた陣城と言う説がある。しかし、何よりもこの城を有名なからしめているのは、2度にわたる国府台合戦である。まず1538年、小田原の新興勢力北条氏綱・氏康親子は、古河公方に敵対して勢力を拡大しつつあった小弓公方足利義明・里見義堯勢力を国府台で破り、小弓公方が滅亡して北条氏の勢力は下総を圧することとなった(第一次国府台合戦)。次は1564年、江戸城の太田康資が北条氏康に叛したことがきっかけとなって、北条氏康と里見義堯・義弘との間に戦端が開かれた。北条方は緒戦は劣勢で、重臣の遠山綱景・隼人佑父子や江戸城将富永康景らを戦死させる程の苦戦であったが、里見方が油断した隙を衝いてこれを急襲し、里見方が大敗した。これによって、北条氏の勢力は更に上総まで伸張することとなった(第二次国府台合戦)。そういうわけで、北条ファンにとっては、国府台城は川越城と並ぶ聖地である。
 しかし肝心の国府台城の遺構の残存状況は、かなり悪い。現在里見公園となっているため、公園化によってかなり改変を受けているほか、城域の北半分は住宅地や畑になっていて、往時の様子を思い描くのは非常に困難である。公園内には土塁や空堀跡、物見台跡などが残るが、いずれも往時のままとは言いかねる状況で、目を細めて見れば何となく城郭遺構であることがわかるというレベルである。都市部の平城なれば、致し方のないところであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.748219/139.898186/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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fuzzy

室町時代の関東は群雄が入り乱れ難解ですね、歴史番組でもなかなか取り上げません、十分面白いですがね。
by fuzzy (2009-09-30 11:25) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
戦国の関東は、小田原北条氏が出てくるまでは、
鎌倉公方(古河公方)と関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏の
抗争の舞台で、その動きが結構複雑ですから、
マニアックでわかりにくい時代ですよね。
だいたい、北条氏も取り上げられることが少ないのが残念です。
by アテンザ23Z (2009-10-01 02:16) 

江州石亭

はじめまして
官兵衛さんのところからアクセスさせていただきました。
とってもレアなところまで踏み込まれているので驚きました。
なにぶん実胤の末裔なもので^^
by 江州石亭 (2009-12-12 10:51) 

アテンザ23Z

>江州石亭さん
私のブログを訪問くださりありがとうございます。
千葉氏の末裔でしたか。
では家紋はあのカッコいい月星ですか?
素晴らしい家系に生まれていて羨ましいです。
by アテンザ23Z (2009-12-13 03:04) 

江州石亭

アテンザ23Z さん、拙ブログにもご来訪感謝です!
家紋は全然違うんですよ。
でも古紋であることには違いないのですが・・・
氏族会は認めたがらないでしょうが、月星をかたどった石を私が継承しています。
その形状はまさしく月星紋そのものです。
by 江州石亭 (2009-12-13 08:52) 

アテンザ23Z

>江州石亭さん
古い名門の家系には、氏族会というのがあるんですね。知りませんでした。大名家としては滅んでも、その系譜は綿々と、しかも広範に連なって現代に至っているのですね。月星をかたどった石というのも、代々伝わってきた由緒あるものなのでしょうね。
ちなみに私は、今住んでいるのは栃木の宇都宮ですが、生まれは千葉市でしたので、千葉氏には郷愁を感じます。
by アテンザ23Z (2009-12-13 10:04) 

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