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中山城(山形県上山市) [古城めぐり(山形)]

DSC07339.JPG←本郭に残る天守台
 中山城は、最上領との国境に築かれた伊達領最前線の城である。永禄・元亀年間(1558-73)に、伊達輝宗の家臣中川弥太郎が天守山に城砦を築いたと言う。その地理的重要性から、この地は度々合戦の舞台となっており、1514年に伊達稙宗は最上義定と戦い、1574年には最上義守と義光親子の跡目争いに介入した伊達輝宗が最上義光と戦っている。また1588年に伊達政宗が最上義光と対立した際には、両軍は中山口で対陣し、政宗の母で義光の妹である義姫が仲裁の為に両陣営の間に割って入ったという逸話も伝えられている。豊臣秀吉の奥州仕置きで、この地が蒲生領となると、蒲生左文郷可が城将となった。その後、上杉領となると横田式部旨俊が中山城代となり、奥州の関ヶ原と言われる慶長出羽合戦の折には、上杉方の別働隊4000が中山口から上山城に攻め込んだ。しかし上山城主里見民部率いる最上方の巧みな抗戦により上杉方は敗走し(広河原合戦)、長谷堂城を攻める直江山城守兼続率いる上杉方本軍と結局合流することができず、合戦の帰趨に大きな影響を与えることとなった。

 中山城は、標高344m、中山宿からの比高90m程の天守山上に築かれている。しかしこの天守山は山というより丘という方が合っているかも知れない地勢である。その為、城全体の雰囲気も、岩部山城などに見られる伊達氏系の山城というより、最上氏系の畑谷城八ッ沼城に近い印象を受ける。最上部に本郭を置き、周辺斜面に広いニノ郭、三ノ郭を展開し、それ以外にも幾つもの腰曲輪を設けて本郭周囲を固めた縄張である。主要な曲輪は周囲を土塁で防御しているが、土塁自体は小規模である。虎口構造は岩部山城などに較べると平易で規模も小さいが、ニノ郭虎口は極めて巧みに屈曲させて横矢を掛けており、屈曲のさせ方が八ッ沼城の本丸虎口に近い印象を受ける。本郭とニノ郭の間は浅い横堀で遮断性を持たせ、本郭には有名な天守台の石垣が残っていて、一部崩落しているものの藪の少ない時期であれば四周石垣となっているのがよくわかる。竪堀はある事はあるが、どちらかと言うと腰曲輪への連絡路に近いようだ。

 全体に緩斜面を利用した広い曲輪が特徴で、国境を防衛する兵の駐屯地として申し分ない規模である。現在国道13号線のバイパス工事が行われていて、城へ近づく道がややわかりにくいが、近場まで車で行くことができるので、場所さえわかれば城には簡単に行くことができる。但し藪の多い時期には、登り口が見つけにくいかも知れない。
ニノ郭虎口→DSC07288.JPG
DSC07302.JPG←本郭とニノ郭間の浅い横堀
竪堀状通路と腰曲輪→DSC07347.JPG
DSC07372.JPG←ニノ郭下の帯曲輪

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.126246/140.212221/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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