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天神山城(埼玉県長瀞町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC01225.JPG←ニノ郭の石垣
 天神山城は、長瀞町中心部の北方、ちょうど荒川が北から東へとその向きを変える部分の右岸の山上に築かれた山城である。武蔵七党の一つ、猪俣党に属する藤田康邦が天文年間に築いたと伝えられている。藤田氏は北武蔵の有力国人であったが、1546年に北条氏康が河越夜戦で大勝して関東南半の覇権を握ると、武蔵天神山城に本拠を置く藤田康邦は、北条氏康の三男・氏邦を養子に迎えて、小田原北条氏に服した。氏邦は当初は天神山城を本拠として城の拡充を図ったが、後に本拠を鉢形城に移し、北武蔵の一大軍事拠点として整備した。以後、天神山城は鉢形城の支城網の一つとして機能したが、1590年の小田原の役で鉢形城が落城すると天神山城も開城したという。

 天神山城は比高80m程の山上にある。それほど急峻な地形ではない。南北に長い縄張となっていて、一番北に主郭を置き、大堀切を挟んで最も広い二ノ郭、更に物見台のような小さな三ノ郭と続く。主郭の北東には3段ほどの段曲輪があり、北側には一部に横堀を備えた2段ほどの腰曲輪で防御している。二ノ郭の西側斜面には腰曲輪が展開し、花園城をはじめとする藤田氏系城郭の特徴の一つである横堀を90度屈曲させてそのまま竪堀とする構造が見られるが、このあたりは冬場でも藪がひどく、十分な遺構の確認ができない。尚、この腰曲輪に降りると、小規模ではあるが二ノ郭の石垣を見ることができる。三ノ郭の手前には岩山を砕いた堀切があるが、花園城のように規模の大きなものではない。更に三ノ郭の南側には、花園御岳城でも見られる、横堀と竪堀を組み合わせた防御構造が見られる。

 以上が天神山城の主要部であるが、この城の白眉は別の所にある。二ノ郭の東の斜面の下に出郭があるが、その構造が極めて技巧的で見事なのである。出郭は三重に馬出を設け、横堀竪堀を複雑に絡めている。その中には横堀と竪堀を組み合わせて屈曲した土橋を作る虎口構造があり、唐沢山城の南東に見られる虎口遺構に酷似している。唐沢山城南東遺構群が、北条氏忠の佐野氏入嗣後に構築された証拠となるであろう。また、唐沢山城がそうであるように、この天神山城でも山上の主要部の比較的単純な構造に較べて、この東出郭遺構群の構造は大いに趣を異にし、極めて複雑なものである。いくら見ていても飽きず、感嘆の声しか出てこないほどだ。藤田氏が元々持っていた築城術に、北条氏の築城術を加味して新たに創り出された、鉢形衆独自の築城技術ではないだろうか。目を見張るべき見事な遺構群である。
横堀と屈曲する土橋→DSC01324.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=36.120311&lon=139.117005&z=16&did=std&crs=1
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コメント 2

ノリパ

素晴らしい遺構のようですね。北条氏の築城技術の賜物なんですか。
見学にいきたいです。
by ノリパ (2009-04-08 00:00) 

アテンザ23Z

>ノリパさん

この冬、武蔵の城を集中的に回った結果、北条氏の持つ築城技術について、わかったことがあります。
いずれ、当ブログにて述べたいと思います。
by アテンザ23Z (2009-04-09 02:22) 

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