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名胡桃城(群馬県みなかみ町) [古城めぐり(群馬)]

DSC03612.JPG←断崖上にそびえる名胡桃城本丸
 名胡桃城は、利根川右岸の高低差50m程もある険しい断崖上に築かれた城である。城の形状は、串焼きの形に似ている。すなわち曲輪を縦に連結して、その間を堀で横一直線に分断し、中央に土橋をかけているという構造である。半島状に突き出た断崖の上に築かれており、しかも周囲は絶壁になっているので三方からはまず攻めることは出来ない。したがって、本丸は先端に近い部分に築かれているが、ここに近づくには西側の台地側から、三の丸、二の丸を経由する以外方法はないであろう。曲輪間の堀はそれほど大きなものではなく、一番広いところでも10mに満たない。薬研掘ではなく箱掘形状のようだ。埋められているのか、深さもかなり浅くなってしまっている。本丸の先にも土橋を通じて、ささ曲輪、物見曲輪などがあるが、実質近づけるのはささ曲輪までで、その先の物見曲輪は手前の堀の薮がひどく、断崖の形状が全くわからないため、夏場には危険で近づくことは出来ない。それ以外に居館部分として、般若曲輪や外曲輪が残っている。外曲輪は、現在国道17号バイパスが分断している。ここは国道の真横にある珍しい城でもある。外曲輪は宅地や畑になっているので、遠目にしか見ることはできないが、中央に堀跡がかなりはっきりと残っている。外曲輪の南の渓谷内には水の手曲輪があるが、これも夏場では薮で近づくことが出来ない。こちらに行くと小規模ながら石垣が残っているらしい。全体に城の規模は小さく、あくまで拠点防衛もしくは敵地への攻撃拠点としての側面が重視されたものであろう。
 名胡桃城はもともと、1492年頃に沼田景久が子息を配置して名胡桃氏を称したことに始まるが、現地解説板によれば、まだこの頃には城はなかったらしい。本格的に築城されたのは、沼田地方が上杉、北条、武田3氏の争奪の場となった時である。1578年に沼田城が北条氏の手に落ちると、利根川左岸の地は北条氏の勢力圏となり、それに対峙する最前線として真田昌幸が築城したものと考えられている。そして、この城を一躍有名にしたのは、1589年に北条方の猪俣邦憲が豊臣秀吉の裁定に反してこの城を攻め落とした事件である。これを契機として豊臣秀吉の小田原攻めが開始され、北条氏の滅亡、天下統一、戦国の終焉へと時代は移っていくのである。この城はまさに時代の目撃者であった。
本丸~二の丸間の堀と土橋→DSC03563.JPG
DSC03576.JPG←本丸から見るささ曲輪


 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.669865/138.991910/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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