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VPO ヘルスベルク楽団長講演会 ~カラヤンの思い出 [クラシック音楽]

 16日のコンサートに引き続き、17日はヘルスベルク楽団長の講演会に参加した。これまたコンサート以上に感慨深いものだった。ムーティがゲストトークということで参加したのだが、まずびっくりしたのは、講演の始まる直前に4人の外人がホールの通路に入ってきたのだが、その一人がムーティその人で、そのまま普通にホールの客席に座ったことである。えっ、あのマエストロ・ムーティが平土間に?あぁ、もっと近くの席だったらよかったのに…。
 ヘルスベルクはカラヤンとウィーン・フィルとの長いパートナーシップについて語ったが、カラヤンとはいいときも悪いときもあったと率直な話だった。また、カラヤンとの最後のコンサートが終わった数日後、カラヤンから電話があり、91年から3年間、ザルツブルグ・イースター音楽祭に来て欲しいという依頼があり、事務局が直ちに検討して参加することになったが、カラヤンが亡くなったので、結局参加したのは91年だけになった、という話も語られた。

 次にムーティが壇上に立って、カラヤンの思い出を話し始めた。その中で、印象的なことを書くと、まずカラヤンの人となりを話すとき、ムーティは何度も“Generous(寛大さ)”という言葉を使ったこと。カラヤンは自身下積みが長く、また巨匠フルトヴェングラーに嫌われて排除された辛い経験から、後進の音楽家の支援に極めて熱心であったことはよく語られていることであるが、ムーティのような偉大な人からもじかにそういうことが語られると、やはり大きな説得力がある。

 また1979年、ムーティがフィルハーモニア管弦楽団を率いていたときのエピソード。すでに82年からフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に転出することが決まった後、フィルハーモニアとアメリカ各地を回っていたときのことが語られた。イリノイだかオハイオだかの小さな町のホテルにいたとき、朝の7時に電話がかかってきた。誰だ、こんな朝早くに電話かけてきたのは?という怒りで電話口に出たところ、相手は低いバスのかかったような声で、「カラヤンです。」とイタリア語で言う。ムーティは怒って、そばにいた妻に「こんな時間に電話かけてきて、カラヤンだなんて冗談言ってるよ。」と言って、もう一度相手に聞くと、また「カラヤンです。」との返事。次の瞬間、ムーティは直立不動の姿勢になって、「マエストロ・カラヤンですか?」と聞くと「Si(イタリア語でYesの意味)」。なんで今日の今の時間に、アメリカのこんな小さな町のホテルにいることを知ってるのか、ビックリしたという。
 そしてその電話は、82年のザルツブルグ音楽祭で、コシ・ファン・トゥッテを指揮して欲しい、というカラヤンからの依頼の電話だった。「でも私は一度もコシは振ったことがないんです。」「知ってる、だからコシを指揮して欲しいんだ。」当時、偉大なカール・ベームがザルツブルグでコシ・ファン・トゥッテを指揮して何年にも渡って非常な成功を収めていることがムーティの頭をよぎって、「私みたいな若輩がコシを振ったら、首切られて殺される。」と思って、「1ヶ月考えさせて欲しい。」と答えると、カラヤンから「いや、イエスかノーか。」という冷たいお言葉。やむなくゆっくりと「イエス」と答えたという。するとカラヤンは、「この話は誰にも言わないでくれ。音楽祭の委員のみんなを驚かせてやりたいんだ。」と言ったという。カラヤンの茶目っ気を感じさせる話だ。

 今回の日本公演のブルックナーとチャイコフスキーの交響曲第5番という選曲もカラヤンの思い出にまつわるという。また、同じく今年のウィーン国立歌劇場の引越し公演でコシを選曲したのも、先ほどの思い出があったかららしい。ムーティのカラヤンに対する尊敬の念が強く感じられた。

 一度話が終わって観衆の拍手の後、「最後にもう一つ、あの話をして下さい」と、ヘルスベルクに話を振られたムーティが語ったもう一つのエピソード。それは、公の場で話すのは初めてという話。
 1989年7月16日の深夜、ムーティが家に帰ると、ザルツブルグ音楽祭の総裁から何時でもいいので至急電話が欲しいとの言伝てがあった。そこで夜中の1時ぐらいであったが電話したところ、告げられたのは「カラヤンが死んだ」という衝撃的な一報。非常なショックを受けるムーティに、ザルツブルグ音楽祭でカラヤンが指揮することになっていた「仮面舞踏会」を代わりに振って欲しいと依頼があったという。いや、カラヤンの代わりなど誰にも出来ない、と断ると、その総裁は、「カラヤンは最近体調が非常に悪く、もし万一体調不良でカラヤンが指揮出来ないとき、誰に代役を頼めばいいか、カラヤンにあらかじめ聞いていたが、カラヤンはただ一人「リッカルド・ムーティ」の名を挙げた」と言ったそうだ。
 ムーティは「考えさせて欲しい。明日の9時に電話する」と言って一旦電話を切った。その後、カラヤンの死のショックで一晩中眠れず、約束の9時に電話して、「やはりカラヤンの代わりはできない。カラヤンの代わりなどできる人は誰もいない。公演自体を中止することが彼に対する礼儀ではないか」と断った。総裁は、「Show must go on.(ショーは続けられなければならない)」と言って、結局ショルティが振ることになった。
 でもムーティは、「今でも代役を断ってよかったと思っている。そうすることでカラヤンに私の敬意を示すことができたから。」と語っていた。ムーティは、心の底からカラヤンを尊敬しているのだろう。

 それにしても、このような興味深い話が聞けて、しかもウィーン・フィルのTOPメンバーによる弦楽四重奏曲も聴けて、それでこの値段(たったの4000円)は正直お徳。
 尚この講演会、観客の年齢層が非常に高かった。40直前の私がかなり若い部類に入る。多くは定年を迎えたような年齢層の人だった。もう少し若い人が来た方がいいのだろうが…。日本のクラシックファンの先行きにちょっと不安を感じた。

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