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上田城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]

←尼ヶ淵の石垣
(2007年5月訪城)
 城好き、戦国史好きの間では知らぬものの無い城、上田城。真田昌幸歴戦の城であり、徳川軍を2度に渡って撃破したことは特に名高く、先日放映されたNHKのBS熱中夜話「日本の城」において、お城ファンが選んだ好きな城ベスト10で堂々1位となった。
 それはともかく、上田城は近世平城としては2度の実戦を経験した数少ない城で、城の長い歴史の中で真田氏が居城としたのはわずか20年ほどに過ぎなかったが、現在でも真田氏の城として記憶されている。また、徳川軍との2度目の激突があった慶長5年(1600年)の第2次上田合戦では、中山道を通って関ヶ原に向かう徳川秀忠率いる徳川軍主力3万8000を釘付けにし、関ヶ原本戦に間に合わないという失態を演じさせた。このため徳川家康は、福島正則などの豊臣恩顧の諸大名の協力がなければ関ヶ原で勝利を得られないこととなり、関ヶ原の勝利で覇権を握った後も、長く豊臣恩顧の外様大名に対して一定の配慮を示さざるを得ず、歴史の重要な転換点に大きく影響した城となった。
 上田城は、南を尼ヶ淵という断崖で守られた天然の要害で、本丸・二の丸を梯郭式に配置し、その東側に三の丸を置いていた。現在残っているのは、本丸・二の丸部分であるが、城内には市民会館や野球場などが作られているため、どこまで遺構が残っているのか判別しにくい部分もある。しかし本丸とその周囲の水濠は往時のままよく残っており、石垣と櫓も現存しているので、その価値は高い。櫓が無い部分でも土塁の櫓台が残っており、礎石らしき石まで残っているようだ。二ノ丸周囲の堀跡も、全体としてはよく残っており、特に東側の堀の大きさはすばらしい。北には食違い虎口の石垣がある。西側では堀の中に建物が建てられていたり畑になったりと変貌しているが、それでも堀が屈曲して横矢が明確に残っているなど、一見の価値がある。

尼ヶ淵沿いの西櫓→
 また旧三ノ丸とされる地域の中に、藩主居館跡が残っている。現在は高校になっているが、表門や水濠がよく残っている。
←藩主居館跡表門
 関ヶ原以後、徳川の怨念の残るこの城はかなり破壊されたようなので、これらの遺構のどこまでが真田時代のものかわからないようだが、それでも十分城の良さを味わえるすばらしい遺構である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E138.14.51.6N36.24.1.9&ZM=9


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