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大宝城(茨城県下妻市) [古城めぐり(茨城)]


 小田城に続く、北畠親房の関東経営シリーズ。今回は大宝城である。この城は、小田城を落とされた親房が関城に拠った際、関城と呼応して南朝の拠点となった城である。かつては大宝沼という大きな沼が城の周囲に広がり、そのただ中に築かれた要塞のような城郭であった。北数kmのところにある関城とは、この大宝沼を使って船で連絡が取れたようで、その地勢と相まって鎌倉府執事の高師冬率いる北朝軍を悩ませた。しかし衆寡敵せず、1343年ついに落城し、北畠親房の5年に及ぶ関東経営はもろくも潰え去ったのである。
 城跡は現在、大宝八幡宮や大宝小学校の敷地、更に宅地にもなっているため、どこまでが遺構であるのか明瞭でない部分もあるが、城跡はかなりの広さがあるようだ。城の南には大きな土塁が築かれ、南東隅には櫓台らしき高台もある。八幡宮の裏手には土塁が二重に築かれたスペースがあるが、内湾のようになっている形状からすると、関城と連絡するための船着場の跡であったのかも知れない。南北朝期の古い城であるのであまり技巧的な部分は無いが、激動の時代の歴史の証言者という意味で、非常に重要な城である。
 なお、大宝城から関城に至る周囲の水田一帯は、すべて国の指定史跡となっているため、あちこちに標柱が立っている。ここまで意味無く広範囲に史跡指定しているのは、もちろん昭和初期に日本全体が右傾化した時代に、皇国史観が持て囃された名残であろう。大宝八幡宮の裏には、北畠親房を助けて討ち死にした下妻政康を称える石碑が、皇国史観の元凶平泉澄の撰文で建てられている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(でも南北朝フリークには必須!)
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.58.31.9N36.12.1.0&ZM=9


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