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ハイティンク/ロンドン交響楽団来日コンサート2015 [クラシック音楽]

ハイティンクがロンドン響と再来日。9月30日にミューザ川崎で、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番とブルックナーの交響曲第7番。サントリーホールでの、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番・ブラームス:交響曲第1番のコンサートと、どちらを取るか迷った挙句の選択だった。

まず最初のモーツァルト。ソリストはペライア。ペライアを生で聴くのは初めてだろうか。24番はモーツァルトの数多いピアノ協奏曲の内、単調で書かれた2曲の内の1つで、有名で演奏の機会の多い20番と比べると、ちょっとパッとしない曲というのが個人的印象。久しぶりに聞いた曲だが、モーツァルトとしては旋律の使い方や変化のさせ方が少々エレガントさに欠ける感じで、久しぶりにじっくりと聞くと、あんまりモーツァルトらしくないないなあ、と言う印象。勿論これは演奏者とは無関係な話。おまけにコンサートの直前まで仕事の電話でバタバタしていて、あまり集中して聴けなかったのも悪かった。ハイティンクの指揮は、やはり歳のせいか、短調の曲にしては少々劇性に欠ける印象だった。

この日のメインのブルックナーは、さすがにハイティンクだけあって要所を押さえた指揮ぶり。しかし2年前の第9番と比べると少々テンポの揺れ幅が大きく、もう少しインテンポでもいいのでは?と思った。オケは、第1、第2ヴァイオリンを左右に分けた対抗配置で、第1ヴァイオリンの奥にコントラバスがあって、左側の席だとよく低音が響いて聞こえた。面白かったのは、チューバの配置。ティンパニーの右にトロンボーンが座り、その右端にチューバがいるのだが、第2楽章の時だけチューバが歩いて移動し、コントラバスの横に座っていた。その目的は、聴けばわかるが、第2楽章の陰鬱な旋律の際に、コントラバスの低音とチューバの低音を一体化させるための措置だった。ハイティンクは高齢にも関わらず、全体をビシっと統率し抜いており、最終楽章のコーダの最後まで全く弛緩するところがない。

しかしハイティンクも、もう86歳。さすがに大曲の指揮を終えた後は歩くのも辛い感じで、見ていて少々痛々しかった。今回の来日ツアーも、8日間で5回のコンサートという強行軍で、86歳の高齢には辛いだろう。あまり考えたくはないが、もしかしたらこれが最後の来日になるかもしれない。無理せず体をいたわって欲しいと思うのが正直なところである。

尚、今回のコンサートでは、私の方に精神的なゆとりがあまりなく、集中して聴くことができなかったのが残念だった。
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ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団来日コンサート2014 [クラシック音楽]

先週、ミューザ川崎シンフォニーホールでヤンソンス/バイエルン放送響の来日ツアーがスタートした。曲目は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番、ソリストはツィマーマン。それとムソルグスキーの展覧会の絵。

ブラームスは、ヤンソンスの指揮は重厚でオーソドックスなものであるが、楽想の大きさに比して思ったよりも大きくない編成(これは私の無知のせい)と、残響の少ないホールの音の特性が相まって、割りとあっさりした演奏に思われた。特にツィマーマンのピアノは、ロマンティシズムとは一線を画した演奏で、特に第2楽章でその傾向が顕著だった。時には説明的なほど固いタッチの演奏で、もう少し叙情性があっても良いのでは?とやや疑問に感じる部分があった。

ムソルグスキーは、ポピュラーで聴いてても肩に力の入らない曲なので、楽しんで聴くことができた。何しろ、「オーケストラの魔術師」と呼ばれたラヴェルの編曲なので、いろいろな珍しい楽器があちこちで鳴っていて、聴いていて楽しいことこの上ない。展覧会の絵、というよりまるで楽器の展覧会。以前にマーラーの5番を聴いた時も、マーラーの構築した立体的な音響に関心したが、ラヴェルも非常に色彩豊かで面白い。どこで何が鳴っているのか、探してしまうほど。席がややオケから離れていたので、音の定位がはっきりしなかったのは少々残念だった。これもホールの音響のせいもあるのかな?

アンコールでは、楽器が何でも揃っている曲の後なので、なんでもござれと、ウィンナー・ワルツのピチカート・ポルカと、ドヴォルザークのスラブ舞曲第15番。こちらも色彩豊かで何とも楽しかった。

昨今健康問題も指摘されるヤンソンスは、ちょっと左足を引きずっており、指揮台との往復がやや辛そうに見えた。ポストカラヤン世代がどんどん鬼籍に入っている昨今、ヤンソンスには元気で頑張っていてもらいたいのだが。
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ハイティンク/ロンドン交響楽団来日コンサート2013 [クラシック音楽]

先週7日に、サントリーホールでピアニストのピリスをソリストに迎えてのコンサートがあった。曲目は、モーツァルトの協奏曲から演目変更となった、私の大好きなベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番。そして、期待のブルックナーの交響曲第9番である。

ピアノ協奏曲第2番は、ベートーヴェン初期の作品で、それだけに軽妙で快活な、後のベートーヴェンとはひと味違う作風の曲で、それがまたたまらない魅力となっている。
ピリスは小柄な体格の女性のため、往年のバックハウスなどのような力強いタッチとは異なり、静かなインティメートな演奏である。
その点、やや物足りなさを感じる部分もあったが、白眉は第2楽章の終盤、ピアノソロの部分で、まるで時間が止まっているかと感じるぐらい、テンポを落として静かに弾かれる旋律は、深く心に染みこんでくる素晴らしい表現で、早くもベートーヴェンの中に生まれているメランコリーを強く感じさせるものだった。
思わず涙が出そうになるほど、心の中が震えた。
最も好きな第3楽章も、ベートーヴェンの明るい諧謔的な精神を発揮した鮮やかなキータッチで、この作品の魅力を十分に引き出した名演だったと思う。

さて休憩を挟んで、いよいよ大曲、ブルックナーの9番である。
ハイティンクのブルックナーと言われれば、期待しないはずがない。
最初の、震える弦の旋律に始まる交響曲は、期待に違わぬ、いや、それ以上の素晴らしい演奏で、第1楽章の最初から第3楽章の最後まで、これ以上はない緊張感がみなぎった演奏だった。
聞いているこちらも背中に汗をかいていたほどの、凄まじい緊張感!
ロンドン響の演奏は、たまにアンサンブルがわずかに不揃いになることもあるが、全体的には精緻で、何よりハイティンクが80を越える年齢にもかかわらず、オケを完全に掌握して、ブルックナー特有の全休符や最弱音など、要所を完璧に押さえた演奏であった。
そして何より、余計な味付けをせず、謙虚に音楽に向き合う指揮が、音楽の自然な流れを最も必要とするこの曲には、完璧に合っていた。
かつて、「波が押しては引くような」とある音楽評論家が書いた通りのこの曲には、この自然な流れが最も大事だと私は思っているが、それが理想的な形で演奏されていた。
本当に心の底から、「これぞブルックナー!」と言いたいほど。
ハイティンクは、いまや当代最高のブルックナー指揮者だろう。
演奏を終えてしばし佇んだ後、ホッとしたようにカランと指揮棒をスタンドに置いたチャーミングな仕草も、聴いているこちらの緊張感をほぐしてくれた。

これほど感動したコンサートは、これまでにない。
帰りの車の中で、コンサートの余韻を消すまいと、オーディオをつけられなかった。
ハイティンクには、まだまだ元気で長生きして貰いたいと、心の底から思った。
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ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン来日コンサート2012 [クラシック音楽]

昨夜、サントリーホールでのコンサート。
今回のティーレマン/ドレスデンの来日シリーズでは最後の公演である。
そのせいか、ティーレマンはちょっと疲れている様に感じる場面もあった。

曲目は、Wagnerの「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、
それとBrucknerの交響曲第7番。
Wagnerと、彼の熱烈な崇拝者だったBrucknerが、
Wagner死去の報に接して、涙を流しながら作曲したと言われる7番だから、
最高の組み合わせである。

オケは、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを左右に向かい合わせた対向配置で、
コントラバスを第1ヴァイオリンの奥に置いていた。
オケの人数は、昨今の欧州経済危機の影響ではないとは思うが、
ヴァイオリン群の後ろに1列スペースが余っており、
Brucknerを演奏するにはやや小編成だったと思う。

まずWagnerであるが、
さすがにバイロイトなどでも好評を博しているティーレマンだけあって、
抑揚をつけた陰影のある表現は素晴らしい。
しかし全体にかなり抑制を効かせた演奏で、
音の洪水に流されるような感じではなかった。

次は小休憩を挟んでBrucknerの7番。
これは正直、ちょっと期待はずれ。
まず対向配置がマイナスに働いた。
こちらの席が第1ヴァイオリンに近かったせいもあると思うが、
弦楽の一体感がなく、音が分散される感じで、
Brucknerの重厚な響きがあまり迫ってこない。
オケが小さめの編成だったのも、音量に影響したと思う。

アンサンブルの精度も、
ドレスデンは世界のトップ・オーケストラと比べるとほんの少しだけ落ちるようだ。

そしてBrucknerの命とも言える、
楽節と楽節の間(ま)の取り方だが、
コンマ数秒というわずかな時間に過ぎない微妙なレベルだが、ちょっとだけ間が足りない。
その為、全体の演奏はゆっくり目なのに、
急いでいるように感じてしまう。

テンポも、以前に聴いたBruckner第8番の時より、
揺らす部分が多かったようだ。
もう少しインテンポで自然な流れで演奏した方が、Brucknerは良いと思う。

2年半前に聴いたティーレマンのBrucker第8番が素晴らしかったので、
今回も期待していたが、ちょっと残念だった。

尚、アンコールはなし。

さすがに日本でもファンの多い指揮者で、
空席はほとんど無いようだったし、
オケの退出後も拍手が鳴り止まず、
ティーレマンは更に2回も出てきて喝采を受けていた。

ちなみに、最近はコンサートのパンフが小さく薄っぺらいものになって、
昔より安くなった。(今回は500円。)
これも長引く経済停滞の影響だろう。
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ゲルギエフ/ロンドン交響楽団来日コンサート2010 [クラシック音楽]

昨日、文京区役所隣のシビックホールで、
諏訪内晶子をソリストに迎えて、ゲルギエフ/ロンドン響のコンサートがあった。
曲目は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲と、マーラーの交響曲第5番である。

諏訪内の演奏を聞くのは、
10年近く前に宇都宮でデュトワ/モントリオール響のコンサートで聴いて以来である。
そのときのブルッフのスコットランド幻想曲の演奏は、今でも忘れ難い演奏の一つだ。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、
まずシベリウス特有の北欧の冷たい朝を思わせるような弦の響きから始まり、
諏訪内のヴァイオリンがそこに重ねられてくる。
諏訪内は音に艶もあり伸びやかな演奏だ。
ただ残念なことに、シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、
個人的に特に思い入れのある曲ではなかったので、
スコットランド幻想曲を聴いたときほどの感銘はなかった。

なおアンコールはバッハの無伴奏だった。
諏訪内のバッハって一度通しで聴いてみたい。

一方、今回コンサート初体験となるマーラー。
CDで聴くのと実際で聴くのと、これ程印象が違う曲は初めてだった。
マーラーの遊びと言うか、テクニックと言うか、
音楽的技法が現代的で非常に優れていることがよく分かった。
非常に音を立体的に組み立てており、
金管の弱音を奏でたり、木管と弦の掛け合いをしたりすると、
その立体感がことさらに際立っていた。

そういう意味で出色だったのは第3楽章と第5楽章で、
マーラーの音楽的な遊びが見事だった。
CDだとあんなに平板にしか聞こえてこないのに・・・。
個人的には素直に好きになれないマーラーだが(決して嫌いなわけではないが)、
コンサートでの初マーラーが5番だったのは正解だったかもしれない。

ゲルギエフは、微妙なテンポの揺れやアクセントの変化、
そして前述のような音の立体感を、
オケを自在にドライブして表現しており見事と言うほかはなかった。
正直、マーラーがこれ程面白い曲だとは知らなかった。
その素晴らしい指揮のせいもあって、目からうろこ、である。
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ムター ヴァイオリン・リサイタル2010 [クラシック音楽]

19日の月曜日、アンネ=ゾフィー・ムターのリサイタルに行った。
曲目は、Brahmsのヴァイオリン・ソナタ全曲。
ピアノは、長くペアを務めているオルキスである。

ムターのリサイタルは、多分10年ぶりぐらいである。
以前は宇都宮の県立総合文化センターで行われた
Beethovenのヴァイオリン・ソナタだった。

この時は、ヴィブラートをかなり強く利かせた
自己主張の強い演奏だったように記憶しているが、
今回のBrahmsでは、肩の力の抜けた自然な演奏で、
聴いていて非常に心地よかった。
曲の性格に合わせた演奏なのか、ムターの演奏が10年の間に変化したからか、
それはわからない。

特に秀逸は第1番「雨の歌」で、
クララに捧げたブラームスの優しい真情が伝わってくるような暖かい演奏だった。
この曲を真ん中に持ってきたのは、
興が乗ってきたところで弾きたかったからであろうか?

最後の第3番では、第1楽章にシューマンのようなパッセージがあるのに気付いた。
あとでもう一度CDで聴いて確認してみよう。

アンコールは、なんと5曲もの大サービス!
1.ブラームス:ハンガリー舞曲第2番(ヨアヒム編)
2.ブラームス:ハンガリー舞曲第1番(ヨアヒム編)
3.ブラームス:子守歌
4.ブラームス:ハンガリー舞曲第7番(ヨアヒム編)
5.マスネ:タイスの瞑想曲

ラストがタイスの瞑想曲とは、やや聴衆受けを狙ったきらいがあるが、
演奏はため息が出るほど美しかった。

さて、その後もう一つのサプライズ。
リサイタルが終わってちょっとトイレに行こうとすると、
トイレの脇に行列ができていて、「最後尾」のプラカードを持った係員が。
何だろうと思ってとりあえず並んでみると、
なんとムターのサイン会だとのこと。
コンサートでサイン会なんて、こんなこと初めてである。

待つことしばし。
ムターとオルキスが登場!
幸運にも早目に気付いて並んだおかげで、
あまり長く待つことなくサインが頂けた。
人によっては、ヴァイオリン・ケースやカバンにサインをもらっている人もいた。
そんなカバン、もったいなくて使えないよなぁ・・・。
私らが帰るときには、後ろには長蛇の列。

それにしても演奏が終わって疲れているだろうに、
ムターとオルキスのサービス精神はすごいことである。
それもずーっと笑顔を絶やさずにサインをしているのである。
ちゃんとこちらの目を見てくれたし。
やっぱり美人だなぁ~、ムターって。

家に帰ってからネットを見たら、
ムターは以前にもサイン会をしているらしい。
日本が好きなんだろうか?

尚、リサイタルの最中、
横のおっちゃんが寝ていてイビキをかいたのは、
興を削ぐ不愉快な出来事だった。

↓Getしたムターとオルキスのサイン!
Mutter.JPG
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ティーレマン/ミュンヘン・フィル来日コンサート2010 [クラシック音楽]

今日、みなとみらいホールでティーレマン指揮ミュンヘン・フィルの来日コンサートがあった。
ティーレマンは今年でミュンヘン・フィルの音楽監督を退任するので、
この組合せは今回が最後かもしれない。
曲目は、Brucknerの交響曲第8番。大曲である。

ティーレマンは最近の指揮者としては珍しく、ハース版を使用している。
大抵はノヴァーク版を使用する指揮者が多く、
ハース版は昔のシューリヒトとカラヤンのCDしか私は聞いたことが無い。
ティーレマンがハース版を使用しているのは、カラヤンの影響かもしれない。

ティーレマンの指揮は、比較的インテンポに近いが、
コーダの最終部など要所でテンポを揺らしている。
しかし第2楽章のスケルツォだけは、かなりテンポの変動幅が大きい。
またある箇所ではチェリビダッケの解釈の余韻も感じられた。
80分を越える大曲があっという間に終わってしまったように感じた素晴らしい演奏だったが、
中でも圧巻なのは第3楽章だった。
Brucknerの緩徐楽章の中でも1、2を争う美しい曲だが、
ミュンヘン・フィルの弦の豊かな音と木管の美しさが相俟って、
時間を忘れるような素晴らしい演奏だった。

また、Brucknerで重要なティンパニであるが、これも見事な演奏で、
演奏後の拍手では、ティンパニ奏者が立ち上がったとき、拍手万雷であった。

みなとみらいホールの音であるが、サントリーホールのような余韻を残すような豊かな残響は無い。
ほかのホールの音をあまり知らないので、
良し悪しがよくわからないが、多分それほど悪くは無いのだろう。
ただ、オケ全体がこんもりした音になってしまっている印象があり、
各パートの音の分離はあまり明確ではないようだ。

ところでこの曲ではシンバルとトライアングルが奏されるが、
それは第3楽章のクライマックスだけで、
特にシンバルの出番は2回しかない。
その出番以外は演奏者はずーっと待っているしかなく、
しかもクライマックスに2発しか打たないので、
絶対に失敗が許されない。
演奏者にものすごい負担を掛ける曲だと思った。

演奏会の空席はまばらで、
わざわざBrucknerを聴きに横浜まで来ているだけあって、
サントリーホールよりも聴衆はかなりクラシックを聞き込んでいる人ばかりに感じられた。
オケ編成が大きい曲で、サントリーホールの舞台に収まりきらないので、
より広いみなとみらいホールに会場を設定したのではないかと思う。

しかしこのホール、入場もパンフ購入もすごい行列で、
サントリーホールのように開幕までゆっくりする時間が取れなかった。
サントリーホールよりも収容人員が多いからであろうか。
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ヤンソンス/バイエルン放送響来日コンサート2009 [クラシック音楽]

昨日、ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団のコンサートに行ってきた。
親しくしている人が以前、とあるピアノリサイタルに行く話をしていたので、
じゃあ俺も、と半分勢いで買ったチケットだったが、行って大正解だった。

曲目は、ブラームスの交響曲第2番とチャイコフスキーの交響曲第5番。
ヤンソンスはテレビでしか見たことがなかったので、今回初体験である。

ブラームスはオーソドックスな解釈であるが、オケ全体のバランスが良く、内声もよく聴こえ、
聴いていて安心できる演奏だった。
しかしそんな中でも終楽章のコーダの盛り上がりは圧倒的で、
演奏後の拍手は割れんばかりのもので、ブラヴォーコールも飛び交い、非常に興奮した。

チャイコフスキーは、歌よりもどちらかというとリズムに傾斜した演奏のようで、
チャイコフスキーの中のスラブ舞曲的側面がよく表出された演奏のように聴こえた。
その点で、第3楽章のワルツが最もよい出来だったと思う。
しかしそれ以外の楽章のほの暗い雰囲気もよく表出されていて、
チャイコフスキーが紛れもなくショスタコービチに繋がるロシア音楽の系譜の先駆者であることが
良くわかるいい演奏だったと思う。

アンコールは、シベリウスの「悲しきワルツ」とウィンナ・ワルツ「憂いもなく」の2曲。
ウィンナ・ワルツを生で聴くのは、たぶん初めてだったと思う。
生だと重低音が良く響き、ずいぶん重量級の曲に聞こえたが、
低音側の席だったから余計そう聞こえたのかもしれない。

ウィンナ・ワルツが終わった後の拍手に応える中で、
ヤンソンスがコンマスに立つように促すと、
コンマスが「みんなあなたを讃えてるんですよ」という感じでヤンソンスに譲った。
するとオケの全員が足を踏み鳴らして聴衆と一緒になってヤンソンスを讃えていた。
チャイコフスキーの後の拍手の中でも、
同じようにオケが足を踏み鳴らしてヤンソンスを讃えていたので、
本日2度目である。
ヤンソンスが、いかにこのオーケストラの信頼を勝ち得ているかがよくわかり、
非常に印象的だった。

これほどの名演奏だったが、空席が目立ったのは意外だった。
これは日本の経済状況の悪化を示すものなのか、
それとも日本のクラシックファンの層の薄さを示すものなのか、
どちらかなのだろう。

ヤンソンスはおそらく来年、コンセルトヘボウと来るだろうから、
またその時に聴いてみたい。
一人身だからこそできる贅沢だ。
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メトのオペラ放送 [クラシック音楽]

最近、MET(アメリカのメトロポリタン歌劇場)では、
新しい試みとしてオペラを全世界にテレビで同時中継することをやっている。
昨日もレヴァイン指揮の「トリスタンとイゾルデ」が放送された。

世界屈指の歌劇場の名演を見れることは、
クラシックファンにはうれしいことではあるが、
ややそのスタイルに違和感を覚えることも少なくない。

映像的な加工(演出)を加えてしまったり、
歌い終えて休憩に入る歌手をインタビューしたりと、
芸術というより、エンターテイメントにしてしまっているきらいがある。

歌手のインタビューなんか、
そんなことしてないでもっとゆっくり休ませてあげればいいのに、と思う。
MET芸術監督のレヴァインの趣向も取り入れられているのだろう。

レヴァインはよい指揮者なのだが、
バーンスタインなどと同様、アメリカ的な楽天的性格で、
自身、幕間のインタビューにも気さくに応じるぐらいなので、
ムーティやアバドなどヨーロッパの指揮者とは根本的にスタイルが異なっているため、
こういうことも出てくるのだろう。

METの中継を見ると、
やはりヨーロッパとアメリカでは、
音楽的伝統が全く異なっていることがよくわかる。
アメリカだと、精神的な深みを追うより、
享楽的になってしまうように見えるのは、
決して私だけではないだろう。

VPO ヘルスベルク楽団長講演会 ~カラヤンの思い出 [クラシック音楽]

 16日のコンサートに引き続き、17日はヘルスベルク楽団長の講演会に参加した。これまたコンサート以上に感慨深いものだった。ムーティがゲストトークということで参加したのだが、まずびっくりしたのは、講演の始まる直前に4人の外人がホールの通路に入ってきたのだが、その一人がムーティその人で、そのまま普通にホールの客席に座ったことである。えっ、あのマエストロ・ムーティが平土間に?あぁ、もっと近くの席だったらよかったのに…。
 ヘルスベルクはカラヤンとウィーン・フィルとの長いパートナーシップについて語ったが、カラヤンとはいいときも悪いときもあったと率直な話だった。また、カラヤンとの最後のコンサートが終わった数日後、カラヤンから電話があり、91年から3年間、ザルツブルグ・イースター音楽祭に来て欲しいという依頼があり、事務局が直ちに検討して参加することになったが、カラヤンが亡くなったので、結局参加したのは91年だけになった、という話も語られた。

 次にムーティが壇上に立って、カラヤンの思い出を話し始めた。その中で、印象的なことを書くと、まずカラヤンの人となりを話すとき、ムーティは何度も“Generous(寛大さ)”という言葉を使ったこと。カラヤンは自身下積みが長く、また巨匠フルトヴェングラーに嫌われて排除された辛い経験から、後進の音楽家の支援に極めて熱心であったことはよく語られていることであるが、ムーティのような偉大な人からもじかにそういうことが語られると、やはり大きな説得力がある。

 また1979年、ムーティがフィルハーモニア管弦楽団を率いていたときのエピソード。すでに82年からフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に転出することが決まった後、フィルハーモニアとアメリカ各地を回っていたときのことが語られた。イリノイだかオハイオだかの小さな町のホテルにいたとき、朝の7時に電話がかかってきた。誰だ、こんな朝早くに電話かけてきたのは?という怒りで電話口に出たところ、相手は低いバスのかかったような声で、「カラヤンです。」とイタリア語で言う。ムーティは怒って、そばにいた妻に「こんな時間に電話かけてきて、カラヤンだなんて冗談言ってるよ。」と言って、もう一度相手に聞くと、また「カラヤンです。」との返事。次の瞬間、ムーティは直立不動の姿勢になって、「マエストロ・カラヤンですか?」と聞くと「Si(イタリア語でYesの意味)」。なんで今日の今の時間に、アメリカのこんな小さな町のホテルにいることを知ってるのか、ビックリしたという。
 そしてその電話は、82年のザルツブルグ音楽祭で、コシ・ファン・トゥッテを指揮して欲しい、というカラヤンからの依頼の電話だった。「でも私は一度もコシは振ったことがないんです。」「知ってる、だからコシを指揮して欲しいんだ。」当時、偉大なカール・ベームがザルツブルグでコシ・ファン・トゥッテを指揮して何年にも渡って非常な成功を収めていることがムーティの頭をよぎって、「私みたいな若輩がコシを振ったら、首切られて殺される。」と思って、「1ヶ月考えさせて欲しい。」と答えると、カラヤンから「いや、イエスかノーか。」という冷たいお言葉。やむなくゆっくりと「イエス」と答えたという。するとカラヤンは、「この話は誰にも言わないでくれ。音楽祭の委員のみんなを驚かせてやりたいんだ。」と言ったという。カラヤンの茶目っ気を感じさせる話だ。

 今回の日本公演のブルックナーとチャイコフスキーの交響曲第5番という選曲もカラヤンの思い出にまつわるという。また、同じく今年のウィーン国立歌劇場の引越し公演でコシを選曲したのも、先ほどの思い出があったかららしい。ムーティのカラヤンに対する尊敬の念が強く感じられた。

 一度話が終わって観衆の拍手の後、「最後にもう一つ、あの話をして下さい」と、ヘルスベルクに話を振られたムーティが語ったもう一つのエピソード。それは、公の場で話すのは初めてという話。
 1989年7月16日の深夜、ムーティが家に帰ると、ザルツブルグ音楽祭の総裁から何時でもいいので至急電話が欲しいとの言伝てがあった。そこで夜中の1時ぐらいであったが電話したところ、告げられたのは「カラヤンが死んだ」という衝撃的な一報。非常なショックを受けるムーティに、ザルツブルグ音楽祭でカラヤンが指揮することになっていた「仮面舞踏会」を代わりに振って欲しいと依頼があったという。いや、カラヤンの代わりなど誰にも出来ない、と断ると、その総裁は、「カラヤンは最近体調が非常に悪く、もし万一体調不良でカラヤンが指揮出来ないとき、誰に代役を頼めばいいか、カラヤンにあらかじめ聞いていたが、カラヤンはただ一人「リッカルド・ムーティ」の名を挙げた」と言ったそうだ。
 ムーティは「考えさせて欲しい。明日の9時に電話する」と言って一旦電話を切った。その後、カラヤンの死のショックで一晩中眠れず、約束の9時に電話して、「やはりカラヤンの代わりはできない。カラヤンの代わりなどできる人は誰もいない。公演自体を中止することが彼に対する礼儀ではないか」と断った。総裁は、「Show must go on.(ショーは続けられなければならない)」と言って、結局ショルティが振ることになった。
 でもムーティは、「今でも代役を断ってよかったと思っている。そうすることでカラヤンに私の敬意を示すことができたから。」と語っていた。ムーティは、心の底からカラヤンを尊敬しているのだろう。

 それにしても、このような興味深い話が聞けて、しかもウィーン・フィルのTOPメンバーによる弦楽四重奏曲も聴けて、それでこの値段(たったの4000円)は正直お徳。
 尚この講演会、観客の年齢層が非常に高かった。40直前の私がかなり若い部類に入る。多くは定年を迎えたような年齢層の人だった。もう少し若い人が来た方がいいのだろうが…。日本のクラシックファンの先行きにちょっと不安を感じた。

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ムーティ/ウィーン・フィル来日コンサート2008(その2) [クラシック音楽]

 昨日は、コンサートの演奏について書いたので、コンサートのミーハー的側面について書いてみようと思う。

 まずムーティについて。男から見ても、文句なしにチョーかっこよかった。かなり前の方で見たせいもあるだろうが、指揮台に立つマエストロは一際大きく見えた。身長はどのくらいなのだろう?あの小柄なカラヤンすら、ステージに立つと大きく見えたというから、実際には人並みの背の高さなのかもしれないが、何よりも圧倒的な存在感がムーティを大きく見せているのだろう。カラヤンは帝王と呼ばれたが、新たなる皇帝と呼んでもおかしくない存在感の大きさだった。アンコール曲が終わって、VPOメンバーもステージから退出した後、期待を込めて拍手を送り続けていたら、やはり出てきていただけました、マエストロが。もうその瞬間、思わず立ち上がって拍手を送りました。何しろこれほど心の底から感動したコンサートは初めてでしたから。

 それからこの日はカメラがステージになかったので、後日のNHKでの放送は無しか、と残念に思っていたが、全然違う2階の右側の席に数台のカメラが待ち構えていた。だれか有名人でも来るのかと思っていたが、よく見ると、そのブロックの通路横の縦1列が全て空席になっている。これはおそらくSP(警護官)席だろうから、さてはロイヤルファミリーか、と予想したらドンピシャ!皇太子殿下の御臨席であった。残念ながら雅子妃殿下は同伴されていなかった。皇太子殿下御来場の割には、入口のセキュリティーが全然厳しくなく普段通りだったのが、後から思えば意外だった。昨今の世情からすれば、金属探知機で全身を調べられてもおかしくないぐらいなのに。もしかしたら物々しさを好まれない殿下のお考えなのかもしれない。

 休憩でホールを出て歩いていると、エントランス付近に有名人が一人。元ソニーの出井「最低」顧問さまである。バシッとタキシードで決め込んでいたのは、さすが金持ちの証。昔は2chのソニー板はこの人の話題で盛り上がってた(盛り下がってた)が。

 この日は5列目の席だったが、近すぎるのも良し悪しで、管楽セクションが全く見えなかった。シュルツやシュミードルがいたかどうかもよく見えなかったのが残念だった。10列目ぐらいが指揮者にも近く、オケ全体も見えて良いのだろう。

 この日、私の隣の席に、とっても綺麗なドレスを着た素敵な女性が座っていた。私の方は老体の家族が一緒だったので、一言二言しかこの女性と言葉を交わせなかったが、一人で来ていたようだったのでもう少しお話できればよかった。もしこのブログを見ていただけたらお便り下さいね!(笑)

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ムーティ/ウィーン・フィル来日コンサート2008(その1) [クラシック音楽]

 一昨日の16日、かねてより楽しみにしていたムーティ/ウィーン・フィルの来日コンサートに行った。以前にも書いた通り、何年も前にこの組合せのコンサートチケットを苦労して入手したのに、聴きに行きそびれるという大失態を演じた過去があるので、今回は満を持して乗り込んだ。(それも自分のBEST10に入るほど好きな曲、シューマンの第2番で!)

 そうした過去の経緯からだけでも垂涎のコンサートなのだが、このコンサートは更に曲目がすごい。ハイドンの交響曲67番とブルックナーの交響曲2番である。まずハイドンは、その名声に比して現代では演奏会で取り上げられること自体が珍しい作曲家であるが、その交響曲はベートーヴェンからプロコフィエフまで、多くの作曲家が魅了される、極めてチャーミングでウィットに富んだものである。私はモーツァルトの交響曲よりハイドンの方が好きなぐらいなので、ムーティ/ウィーン・フィルという比類のない組合せで聞けるのは、またとないチャンスである。しかもハイドンの交響曲の中でも、後期の有名なロンドン・セットやパリ・セットではなく、中間期の67番という渋さ!今回初めて聞く曲だ。
 そしてもう1曲のブルックナーだが、これも実演されることが極めて少ない第2番である。私の好きな作曲家であるブルックナーの作品の中でも、好きな交響曲の1つだ。この交響曲でブルックナーは初めて、独特の神秘性、波が寄せては引いていくような広大無辺とも言うべき楽想の広がりを実現したのである。
 自分の大好きな作曲家、大好きな曲だが、実演に接することはこの先もほとんど出来ないだろう。まさに一期一会のコンサートである。

 今回、サントリーホールに来るのはおそらく10年ぶりぐらいになる。宇都宮に越してきてからは栃木県文化センターでのコンサートぐらいしか行っていないが、この文化センター、音響効果が恐ろしく貧弱で、残響がほとんどないのである。オーケストラの音が、これでもかというぐらい乾ききった音で本当にひどいものであるが、それとは雲泥の差。やはりサントリーホールの音響は素晴らしい。最初のハイドンは、オケの編成はやや小規模だが、ホールの豊かな残響のおかげで、非常に心地がよい。またこの交響曲はハイドンらしい遊び心や実験的手法が随所に用いられていて、たとえば第2楽章最後のヴァイオリンを弓で叩いてリズムを刻んだり、メヌエットのトリオでは、ソロ・ヴァイオリン2本だけの室内楽的な掛け合いを用いるなど、非常に面白い構成である。このトリオでは、第1ヴァイオリンのTOP(もちろんコンサートマスターのキュッヒル)と第2ヴァイオリンのTOPが2人だけで掛け合うのだが、ムーティは2人の自発性に任せて完全に指揮をやめてしまっているのが、見ていて面白かった。

そして休憩を挟んで、いよいよブルックナーの第2番である。ムーティのブルックナーなんて、今までテレビも含めて聴いたことがないし、イタリア人の指揮者なので果たしてドイツ音楽のブルックナーがどのように振られるか一抹の不安があったのだが、聞き始めたらそんな不安は完全に消し飛んでしまう、素晴らしい演奏だった。ムーティは第1楽章と終楽章のコ-ダだけは速いテンポで振りきったが、それ以外は基本的にインテンポで通し、要所で微妙にテンポを揺らすだけなので、芯が安定しており、ブルックナー特有の波が寄せては引いていく、うねりの様な感じが見事に表現されていた。(NHK-BSで以前に聴いたアバドなどは、歌に傾斜してテンポを変に揺らし過ぎてしまい、ブルックナーの神秘性が表出されなくなってしまう。カラヤンがかつてインタビューに答えた通り、ブルックナーの指示は「もっと微妙なテンポ」なのである。)緩徐楽章も美しい。楽器の音のバランスも全体を通して素晴らしく、聴き終えた時は感動で体が震えたぐらいだった。聴き終わったときにこれほど感動したコンサートはこれまでなかったと思う。

 アンコールは、マルトゥッチの夜想曲。ムーティのスピーチに曰く、「ブルックナーの後に演奏するのは不可能です。しかし皆さんにイタリーから小さな贈り物をささげます。」という曲である。初めて聴く曲だったが、弦の響きとハープが素晴らしい。(なんでハープが置いてあるんだろうと思ったら、この曲のためだった。)瞑想的な雰囲気の曲で、ブルックナーの後にアンコールとして持ってくるのにふさわしい、優れた選曲だった。マーラーの交響曲第5番の有名なアダージェットに似た感じの曲だと思ったが、後で調べたらマルトゥッチの方が先達らしい。

 ハイドンからマルトゥッチまで、ムーティの選曲のセンスのよさの光るプログラムで、それを更に際立たせる優れた演奏。そして何より、予想以上に素晴らしかったムーティのブルックナー。ムーティはブルックナーをほとんどレコーディングしていないが、もっとほかの曲も聴きたいと思った。

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カラヤンの実像 [クラシック音楽]

 昨日、NHK BS-hiでカラヤン生誕100周年の特別番組をやっていた。すべてBDレコで録画してあるので、これから中身を見ながらBDに移して保存する予定で、すでに一部は見始めているが、特に「ヘルベルト・フォン・カラヤン~その目指した美の世界~」というドキュメンタリーは興味深いものだった。これまでにあまり語られることの無かった、ウルム時代の事件やバーンスタインとの親交、ソリストとの衝突と別れなどが綴られていた。
 今回初めて知ったことが多いが、その一つ。クリスタ・ルートヴィヒって、子供のころに家にカラヤンが遊びに来ていたんだそうだ。まだカラヤンがアーヘンにいた時代のことである。また、ルネ・コロがカラヤンとぶつかったのは、声が出なくなっていたからだそうだ。ルートヴィヒやヤノヴィッツも同じ。この辺は妥協無く最良の音楽を追い求めるカラヤンの断固とした姿勢が伺える。
 バーンスタインについては、面白い描写をされていた。要するに二人は正反対のアプローチで音楽に臨み、人生についても両極の処し方をしていたという。カラヤンは、バーンスタインを自分の手兵ベルリン・フィルに招いたのは1回しかなかったが、今回のドキュメンタリーで見た限り、お互いのことは認め合っていたようである。笑ってしまうのが、コロがカラヤンと決別してから間もなく、知ってか知らずかバーンスタインから出演の依頼があったそうな。
 それにしても、現在第一線で活躍している多くの指揮者がカラヤンの薫陶を受けていることが改めてわかった。現在のベルリン・フィルの主席指揮者であるラトルやヤンソンス、ティーレマンなど。これほど後進の指導に携わった有名指揮者は少ないであろう。よく言われることだが、カラヤンは自身下積みでの苦労が長く、フルトヴェングラーから嫌われて排除されていた経験から、才能ある若手に対する援助を惜しまなかったという。キーシンとのエピソードも心に残る。滅多に涙を見せたことの無いカラヤンが、若きキーシン(当時まだ17歳)の演奏を聴いて、目を潤ませて彼の母親に「彼は天才です」と語っていたそうだ。
 毎日朝早くから起きて楽譜を勉強して、オペラも交響曲も暗譜していたという恐るべき努力と強靭な意志を持っていたカラヤン。とかく独裁者とか、権力欲の強い指揮者という言葉で語られがちなカラヤンだが、その全ての根源は音楽に対する飽くなき追求から来ているという感を、今回の番組を見て一層強くした。
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グールドのゴルトベルク [クラシック音楽]

 今夜、久しぶりにグールドのゴルトベルク変奏曲を聞いた。
 それは、年末に新しいパソコンのセットアップを続けながら、11月にBSで放送されたグレン・グールドのドキュメンタリー番組を見たからである。たくさんのグールドの映像やインタビュー、演奏が含まれていて、非常に興味深い内容だった。映像の中では、この希代の天才は、自由奔放に自分の心の赴くままに音楽を楽しんでいた。本人が最も愛した、言わずと知れたバッハに始まり、シューベルトの交響曲やシェーンベルクまで弾いていた。それはすべて、その瞬間のひらめきで弾いているようだ。それでいながら音楽の本質から外れず、殊にバッハにおいては、まるでバッハが乗り移って弾いているような優雅さと完成度であった。
 この番組に触発されて、2007年の大晦日はグールドのゴルトベルク変奏曲を聞いて過ごした。音符一つ一つが均整の取れた、それでいながら自由な、類稀な演奏だ。評価が定まった現在でさえ聞くとそう感じるのだから、このアルバムが発表された当時、音楽界に与えた衝撃は計り知れないものがあっただろうことは想像に難くない。バッハの演奏としては、シェリングの無伴奏と対を成す傑作であろう。
 さて、いよいよ新年。いい音楽のおかげで、2008年が良い年になれば・・・。


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BEETHOVENモード [クラシック音楽]

 ここしばらくゼッ不調、というか、精神的ストレスで死にそうだったが、なんとか先週末、仕事が一山越えたので、ちょっと楽になった。そんなわけで、今週に入ってからずーっとBEETHOVENモードです。BEETHOVENモードとは何かというと、上り調子になりつつある時に、ベートーベンの音楽を聴いて更に自分を調子づけること。
 反対にゼッ不調のときは、マーラー第9モード。黄泉の世界への憧れとも言えるような、マーラーの交響曲第9番だ。死にそうなぐらい、精神的にきついときは、なぜかこれで心が癒される。マーラーは基本的に「好き」な作曲家ではないはずなのだが。
 今回は、マーラー聴いて、しばらくしてベートーベンのピアノソナタop.101を聴き始めてから、BEETHOVENモードに突入した。BEETHOVENモードに入ると聴く曲の嗜好が変わる。特に、交響曲第7番辺りが最高だ。Cosmic Danceともいうべきこの交響曲は、ある意味第9よりスケールが大きい。宇宙の生命力を内包しているようなダイナミックさは、比類がない。ベートーベンは「ダイダロスは、迷宮に幽閉されたが、それを抜け出して空中に飛翔する翼を発明したではありませんか」と言った。まさしくそういう生命力を宿した音楽だ。
 離婚問題にも、精神的に区切りがついた。ここしばらくは、ベートベンを聴いて過ごしたいものだ。


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心のすき間 [クラシック音楽]

 今、心の中になんとも言いようのない空虚なすき間が開いている。心がスカスカになっているようだ。もはやうちの結婚生活は修復不可能だろう。そして、仕事は大変な状況に陥りつつある。追い討ちをかけるように、自分の意図と合わない研修を業務命令で受けさせられ、寸暇を惜しんでその試験勉強までせねばならない。この追い込まれた状況・・・。
 しかし、一番効いているのはやはり家庭状況だ。幸い子供はいないが、私ももう若くないので、今後どうなってしまうのか、年老いた両親のことも考え合わせると心配でならない。私にはもう幸せは訪れないのであろうか。
 こういう時、私の心に中に必ず思い出されるのは、私の最も敬愛するベートーヴェンが心許した親友に出した手紙の一節である。
 「僕はといえば、そうだ、なんとわが王国は大気の中にある。しばしば風のごとく音が響きわたる。魂のなかでも響きわたる。─君を抱擁する。」
 この時期の彼のピアノソナタは、優しく悲しい。しばし心を彼のソナタに委ねよう。


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ロストロポーヴィチ! [クラシック音楽]

 実に惜しい人が亡くなった。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ。世界屈指の偉大なチェリストだ。10年程前には、自費でバッハのチェロ組曲を映像付でレコーディングするなどして、その後もずっと元気だったが、とうとう・・・。あの元気なおじいちゃんのショルティが亡くなったときも、「えぇ、もう?」と思ったけど、同じくらいずーっと元気で、亡くなるなんて想像できなかった。
 私がロストロポーヴィチのCDを買っていたのは、当初のお目当てはカラヤンだった。しばらくそんな感じだったので、あまりロストロポーヴィチのすごさを知らなかったが、あるときふとCDショップでロストロポーヴィチ演奏のシューマンのチェロ協奏曲を見つけて買ってみたら、これがすばらしく良かった。それまでに買っていた当曲のCDはシフの演奏だったが、なんとなくパッとせず魅力を感じる曲ではなかった。しかしロストロポーヴィチの演奏ときたら、最初のもの悲しげな旋律のヴィブラートの利かせ方といい、強弱の付け方といい、全く別の曲のように聞こえてびっくりしたものだ。なんとも深い哀愁を帯びたすばらしい演奏。そのインパクトは、そのCDを聞くたびに思い出すほど強烈だ。ふと何気なく買ったCDで、聞いて「すげぇ!」と思ってのめり込んだ演奏家は何人かいるが、ロストロポーヴィチもその一人だった。
 今まで本当にありがとう。心から冥福を祈りたい。

 ちなみにうちの親父もあと数年で80歳。元気に見えていても、老齢になると、ある時ガタガタっと急に衰えが来てしまうからちょっと心配だ。明日からゴールデンウィークなので、1回うちに顔出しておこう。正月以来、しばらく帰っていないから・・・。


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