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赤生津楯(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1810.JPG←主郭背後の堀切
 赤生津楯(赤生津館)は、歴史不詳の城である。伝承では、奥州藤原氏3代秀衡の一族の居城であったが、後に葛西氏の臣族が居住したと言われている。その伝承によると、平安末期~鎌倉初期の城ということになるが、真偽は不明である。

 赤生津楯は、標高70m、比高50m程の山上に築かれている。東西に並立する大館・小館の2つの城から成り、東が大館となっている。大館の南部1/3程が採石の為に削られて焼失しているが、残りの部分が残存している。採石場跡の背後の斜面の中腹に標柱が建っているが、特に道は無いので、適当に斜面を登るしかない。大館は、現存している部分では南の主郭と北の二ノ郭から構成され、主郭な南東部に方形の一段低い区画を形成している。背後は堀切で区画して二ノ郭と分断し、小さな土橋が中央に架かっている。また西斜面には帯曲輪を築いている。二ノ郭はただの平場であるが、笹薮が酷い。これら主郭から二ノ郭を取り巻くように、西から北西尾根にかけての斜面中腹に小横堀を廻らしている。大館の遺構は以上である。
 小館であるが、小館に至る大館北西の尾根の笹薮が酷く、踏査は断念した。小館は、『日本城郭大系』の図と1970年代の航空写真を見ると、不等辺四角形に近い長円形の単郭城砦で外周に空堀を廻らしただけらしく、その形態はチャシに近い。
 赤生津楯は、その素朴で古風な形態から考えると、古い時代の城砦と考えられ、伝承の時代と遺構面ではほぼ合致しそうである。
中腹の小横堀→IMG_1820.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.620978/141.250470/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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