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高砂城(兵庫県高砂市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_7245.JPG←城跡の高砂神社
 高砂城は、播磨梶原氏の居城である。元々は室町時代に杉岡蔵人によって築かれたと伝えられる。 杉岡氏は播磨守護赤松氏に属しており、嘉吉の乱の際に小松原城主小松原永春と共に赤松満祐の元に馳せ参じたと言う。その後、梶原氏が城主となり、赤松氏の水軍の将を務めて赤松晴政の淡路国脱出を支援したり、一族を馬廻として出仕させるなど、戦国期まで赤松氏に従った。播磨梶原氏は「景」を通字にしている通り、鎌倉幕府創業の功臣梶原景時の裔を称した。梶原景秀が城主の時、織田信長の部将羽柴秀吉による三木合戦となり、景秀は三木城主別所氏の麾下として高砂浦を守備し、後詰めの役を果たした。毛利氏や本願寺顕如は、この高砂城から三木城への軍兵・兵糧米の陸揚げを計画していたと言う。しかし黒田官兵衛孝高の仲介により景秀は秀吉に帰順し、高砂の本領を安堵されたと見られる。1580年には秀吉の命により高砂城は一旦破却された様である。関ヶ原合戦後に池田輝政が姫路城主になると、播磨の海の守りを固める為に1612年に近世高砂城を新たに築き、家臣の中村主殿助正勝を高砂城主として城下町を整備した。その後、元和の一国一城令によって高砂城は廃城となった。

 高砂城は、現在の高砂神社の地にあったとされる。しかしこれは池田輝政が築いた近世高砂城で、梶原氏の中世高砂城がどこにあったのかは明確ではない。小松原城の近傍にあったとも、高砂神社の北西にあったとも、或いは梶原の城の跡に近世高砂城を築いたとも言われ、諸説あって確定できないのが実情である。いずれにしても、市街化で城の遺構は完全に湮滅している。城より高砂神社が立派で、比較的広い境内には松が多数植わっており、社殿や山門も素晴らしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.743825/134.803576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:近世平城
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