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船子城(茨城県行方市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_4431.JPG←2郭南東部の横堀
 船子城は、伝承によれば、永享の乱の際に鎌倉公方足利持氏に味方して敗北した関宿の城主下河辺義親が、小高氏を頼ってこの地に逃れ、船子城を築いたと言う。行方下河辺氏は、義親・その子晴親・その弟氏親と3代続いたと言われる。後に下河辺氏は行方城へ移り、船子城は小高氏の城となったとも言われるが詳細は不明である。

 船子城は、霞ヶ浦東岸の比高25m程の丘陵上に築かれている。南麓に浅間神社があり、その背後から登ることができる。比較的広い城域を有しているが、全体が藪に覆われていて、踏査がなかなか大変である。南端から順に1郭・2郭・3郭・4郭と直線的に配置し、1郭の西側に細長い西出曲輪を配置したのがこの城の基本構造である。曲輪の番号は、ここでは先端から順に番号付けしたが、実際の主郭は2郭と考えて良いと思う。城内最大の面積があり、防御構造が最も厳重だからである。1郭はそれに対する笹曲輪の役割であったろう。1郭は後部に土塁を築き、2郭との間を堀切で分断している。中心となる2郭は南面から東にかけて土塁を築き、その外周に腰曲輪を築いている。2郭腰曲輪の南東部は横堀となって防御を固めている。ここから南東尾根に土塁を伸ばし、側方に段状に曲輪を伸ばしている。2郭後部には横矢張出しの櫓台が築かれている。2郭・3郭・4郭の間はそれぞれ堀切で分断されている。この他、主要な曲輪の周囲には腰曲輪が築かれているが、藪が酷くてわかりにくい。2郭の横堀付近以外は、あまり技巧性を感じさせない縄張りの城である。
3郭後部の堀切→IMG_4366.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.048049/140.451987/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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