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甲ヶ峯城(京都府綾部市) [古城めぐり(京都)]

IMG_1804.JPG←城域入口の堀切・土橋
 甲ヶ峯城は、山家城とも呼ばれ、この地の豪族和久氏の居城である。1563年に和久左衛門佐義国によって築かれたとされる。和久氏は、戦国時代に天田郡(福知山)一帯を治めた横山城主塩見氏の一族で、塩見頼勝の4男長利が和久城に分封されて和久氏を称した。その後、戦国後期に丹波守護代内藤氏の命で、天田郡から何鹿郡に入部して甲ヶ峰城を築いたと言われている。しかし一方、和久氏の菩提寺とされる照福寺の寺伝では、1445年に和久氏の菩提寺として創建されたと伝えられており、時代が合わないので、今後考証の余地がある。1565年の和久郷合戦で、八木城主内藤宗勝(実は松永久秀の弟)が黒井城主赤井直正と戦って大敗・討死すると、和久氏は赤井氏に服属した。明智光秀が丹波を平定すると、光秀に降ってその配下となり所領を保ったが、城破却の命に従わず1580年に滅ぼされた。尚、照福寺は、現在は国道27号線近くの丘陵地にあるが、往時は甲ヶ峯城の出曲輪として山上にあったと言われ、和久氏はこの出曲輪を「寺庵」と称して破却しなかったため、光秀の討伐を招いたと言う。

 甲ヶ峯城は、標高236mの山上に築かれている。西麓の伊也神社から登り道が整備されている。本城は、山上に段差だけで仕切られた主郭・二ノ郭を置き、その両側に腰曲輪を築き、前面に三角形状の三ノ郭、南の尾根に段曲輪群を配している。大手は南西の尾根で、城の入口には中央に土橋を架けた八の字形の堀切を穿って防衛し、三ノ郭から二ノ郭に至る城道側方にも2本の竪堀を穿って防御している。また主郭背後には堀切を穿って尾根筋を遮断している。この背後の尾根を北東に辿ると、砦もしくは物見らしい土壇があり、その北西の先に照福寺跡とされる出曲輪がある。出曲輪は背後に虎口を備え、東側に低土塁を築き、前面に曲輪群を築いており、いかにも城砦の造りである。遺構としては以上で、それほど規模は大きくなく、技巧性もあまり感じられない城であるが、藪が伐採されて整備されているので、曲輪の姿が綺麗でよくわかる。
主郭背後の堀切→IMG_1850.JPG
IMG_1867.JPG←出曲輪の虎口
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.302019/135.322080/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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