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茂木城(栃木県茂木町) [古城めぐり(栃木)]

DSC09152.JPG←二ノ丸から見た堀切と本丸切岸
 茂木城は、この地の豪族茂木氏の歴代の居城である。宇都宮氏の一族で常陸の有力御家人、八田知家が軍功によって茂木保の地頭職に任命され、その後3男の知基が1192年に茂木に入部して茂木城を築き、茂木氏を称した。以後、治良まで16代の居城となった。南北朝期の5代知貞の時代に城の全容が完成したと言われ、茂木氏は一貫して北朝方として活躍した。7代知世の時が全盛期とされ、1381年の小山義政の乱でも軍功を挙げている。戦国時代になると、南から勢力を拡張してきた小田原北条氏に対抗するため、宇都宮氏と共に佐竹氏と結んだ。1585年には、北条氏の攻撃を受けて茂木城は落城したが、その後、佐竹義重によって奪回された。1590年の小田原の役で北条氏が滅亡し、豊臣秀吉から佐竹氏が常陸一国を安堵されると、茂木氏は完全にその家臣となった。1594年、茂木治良は佐竹氏の命によって常陸小川城に移り、その後は佐竹氏の家臣須田美濃守治則が茂木城主となった。1610年、細川興元(忠興の弟)が茂木に入ると、新たに平地に陣屋を構え、茂木城は廃城となった。

 茂木城は、逆川北岸にそびえる比高80m程の広い台地上に築かれている。広大な城で、中央の千人溜と呼ばれる窪地の周りに、南西に本丸、西に二ノ丸、北に三ノ丸、南東に出丸、北東に馬場を配置している。これらは、千人溜の周りをぐるりと囲むように高台上に曲輪群が連なり、しっかりした高さ5m以上の切岸でそびえている。城内の南側半分は城山公園として整備されている。本丸は北から西にかけて土塁で囲まれ、土塁上は幅が広く多門櫓などが建っていたと想像される。本丸西側には、堀切を介して馬蹄形曲輪が築かれている。二ノ丸は城主居館があったとされ、土塁のない平坦な平場で、現在は杉林となっている。三ノ丸・馬場は、未整備の藪に覆われ、進入できない。三ノ丸外周には空堀が穿たれ、空堀外周に土塁が築かれて、北の台地との間を切岸で区画している。本丸・二ノ丸・三ノ丸の間は、それぞれ幅の広い堀切で分断されている。一方、南東の出丸も、千人溜との間に堀切が穿たれているが、ここには横矢のクランクが見られる。この他、南斜面や東斜面に腰曲輪が廻らされている。以上が城の主要部であるが、城の北側の「館地区」も台地の上にあり、外郭として機能していたらしい。東側の館集落入口の小道はクランクしており、おそらく枡形虎口の跡と考えられる。外郭は広大な畑になっているので、それ以上の探索はできなかった。茂木城は、鎌倉時代から続く名族の城として、今でもその威容を誇っている。桜の咲くタイミングを見計らって行ったが、好天の中、桜吹雪を見ながらの城歩きとなり、最高の一日だった。
本丸西側の堀切と馬蹄形曲輪→DIMG_3252.JPG
DSC09044.JPG←出丸の横矢掛かりの堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.536959/140.184774/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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