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西館(宮城県美里町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2957.JPG←本丸切岸と水堀
 西館は、鶴頭城とも言い、また江戸時代には仙台伊達藩が江戸幕府に備えてその領内に取り立てた二十一要害の一、不動堂要害と呼ばれた城である。元々は葛西氏の家臣有壁摂津守の城であったと言われ、葛西氏と大崎氏の抗争の場となった。また天文年間(1532~55年)には伊達天文の乱の余波で大崎小僧丸(義宣)が西館に立て籠もって養父大崎義直と争うなど、大崎氏の内訌の舞台ともなったと伝えられ、この時期には大崎氏の支城であったと言う。有壁氏は、金成町の有壁館を本拠とする豪族で、おそらくは大崎氏に備えるために葛西氏が有壁氏をこの地に置いて守らせたものが、その後の変遷で大崎氏の支配下に入ったと思われる。いずれにしても、葛西領・大崎領との接壌地帯にあった城館であった。1588年には、伊達氏の家臣で千石城主遠藤高康の攻撃を受けた。1590年の豊臣秀吉による奥州仕置で大崎氏が改易されると、その後の葛西大崎一揆を経て伊達氏領となり、1611年に後藤信康がこの地を拝領し、1620年に信康の子近元が西館に居城を移し、以後幕末まで後藤氏の居館として存続した。

 西館は、鳴瀬川北岸の小丘陵に築かれている。台形状の小丘陵に本丸を置き、その外周に水堀を廻らし、更に外側の低台地に二ノ丸を廻らした梯郭式の縄張りとなっている。本丸は現在、鶴頭公園となっており、かなり改変を受けているもののわずかに土塁や腰曲輪などが残っている。北側には堀底道のような歩道があるが、これも遺構であろうか?一方、水堀は南東部分のみが護岸工事をされた形で残っている。二ノ丸は、市街化で大きく改変されているが、辛うじて周囲よりわずかな高台になっていて、地勢を残している。感じとしては、佐沼城のミニチュア版と言った雰囲気である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.528268/141.078465/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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