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田渡城(茨城県常陸太田市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6648.JPG←主郭横堀の横矢掛かり
 田渡城は、歴史不詳の城である。城主についても諸説あり、天文年間(1532~55年)に内桶弥太郎が築いたとも、或いは佐竹一族の佐竹義兼、額田八郎行直、佐竹東殿などとも言われ、明らかにできない。しかしいずれにしても佐竹氏の本拠常陸太田城から2.9kmしか離れておらず、佐竹氏が築いた城であることは、論を俟たないであろう。

 田渡城は、里川東岸の標高89m、比高70m程の丘陵上に築かれている。横堀を多用した要害城で、北西麓からの小道を登っていくと、幾つかの腰曲輪を経由して山腹の横堀に行き当たる。土橋が架かり、北側外周線を延々と半周する長い塹壕線である。一部に横矢掛かりも見られる。この山腹横堀の南東端は、主郭南東側の堀切から落ちる竪堀に繋がっている。また主郭堀切は主郭外周を巡る横堀と合流しており、堀のネットワークが構築されている。主郭は全周を土塁で囲み、その外周は中規模の横堀で囲繞し、北面で豪快な横矢を掛けている。虎口は3ヶ所に築かれ、大手虎口には横堀に土橋を架け、前面に馬出しを設けている。馬出し側方には主郭横堀から竪堀を落とし、馬出し周囲の横堀に通じていることから、城道を兼ねた竪堀であったことがわかる。ここへも主郭の塁線上から横矢が掛けられている。主郭の西側には横堀を挟んで二ノ郭が広がり、先端に櫓台が築かれている。更に西には物見台状の曲輪、また南西にも先端に虎口土塁を設けた曲輪を配置している。この他にも要所に竪堀を兼ねた城道があり、全体の規模はそれほど大きくはないが、かなり技巧性のある縄張りを持った山城である。

 問題は、この城を築いた意図で、佐竹氏本拠の常陸太田城に近い位置に何故このような山城を必要としたのか?ということである。戦国末期の小田原北条氏との抗争で、かなり守勢に立たされるようになってきた佐竹氏が有事に備えたものとも考えられるし、或いは山入の乱などで常陸太田城の争奪が行われたことと関連して築かれた城とも考えられ、今後の考究が待たれるところである。
山腹の長い横堀ライン→IMG_6542.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.557636/140.548890/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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