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豊後館(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2847.JPG←川原石の石垣虎口
 豊後館は、馬場館或いは豊後楯城とも呼ばれ、秋保氏の一族秋保(馬場)摂津守定重の居館である。定重は、秋保盛房の弟盛義の孫で、祖父盛義は馬場村に居住して上館城を居城とし、一名を馬場と称し、馬場秋保氏3代定重は永禄年間(1558~69年)に新たに豊後館を構えて居城を移したと言う。定重は武勇に優れ、宗家の秋保氏と共に伊達氏に服属し、二口峠の境界警備の一翼を担った。1591年、伊達政宗から離反して捕らえられた黒川月舟斎と長江月鑑斎が、秋保氏の元に預けられ、長江月鑑斎は定重の豊後館に幽閉された後、政宗の命で定重・頼重父子によってこの館で誅殺された。1599年には、政宗の命によって改修を受けたと言う。その後、馬場秋保氏は移封となり、築館より約40年にして廃館となった。

 豊後館は、名取川とその支流の合流点に突き出した段丘先端に築かれた城館である。ほぼ単郭の小規模な城館で、背後に土塁と堀切を築いて防御し、外周に腰曲輪を廻らしただけの構造である。土塁はわずかに折れを持たせて堀底への横矢を意識した大土塁である。この館で出色なのは、南の腰曲輪に設けられた石垣の枡形虎口で、小規模ながら川原石による石垣が残っている。この虎口へは急坂になった堀底道から繋がるようになっているが、堀はこの先で更に急峻な竪堀となって降っており、攻めるに攻めにくい構造となっている。『日本城郭大系』ではこの石垣虎口を、前述の政宗の命による改修によるものと推測している。この他、主郭の南辺縁部にも低土塁が残り、やはり川原石が散在しているが、遺構かどうかは不明である。小規模城館には不釣り合いな虎口遺構と大土塁であり、貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.265225/140.651586/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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