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一名坂城(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_8662.JPG←城址推定地南の傾斜地
 一名坂城は、南北朝期にこの付近に勢力を持っていた大河戸氏の出城である。大河戸氏は武蔵大河戸氏の後裔で、源頼朝の奥州合戦の軍功により陸奥国宮城郡山村の地を賜った。南北朝期には山村城(山邑城)を本拠とし、一名坂城・小曾沼城を出城として築いていた。室町幕府の内訌「観応の擾乱」が生起すると、それにつけ込んで各地の南朝方が一斉に反攻を開始し、大河戸氏も南朝方に付いて皇子山村宮を奉じ、北朝方の吉良貞家と交戦した。1352年、宇津峯宮を奉じた北畠顕信も、北朝方を打ち破って進軍し、国府多賀城の奪還に成功した。しかし、翌年には吉良貞家は勢力を盛り返し、多賀城を攻撃した。多賀城救援のため大河戸一族と共に出撃した山村宮は、北朝方の優勢な軍事力の前に討死し、多賀城は再び北朝方の手中に帰した。宇津峯宮・北畠顕信らは宇津峯城に逃れて抗戦を続けた。山村宮の討死後、大河戸一族は一名坂城・小曾沼城を死守したが、衆寡敵せず間もなく北朝方に攻略され、更に本拠の山村城も陥落したと言う。

 一名坂城は、その位置は明確ではないが、現在の七北田小学校付近にあったのではないかと推測されている。位置も明確ではないぐらいであり、しかも周囲一帯は完全に市街化されており遺構は望むべくもないが、推定地付近は七北田川北岸の丘陵地で、大きな傾斜地の上にあり往時は要害であったことが伺える。また推定地のすぐ西側には奥州街道が通っており、小曾沼城と共に渡河点を押さえる交通の要衝であったことも伺える。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.322602/140.892448/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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