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柳津館山楯(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1470.JPG←主郭の櫓台・土塁
 柳津館山楯(柳津館山館)は、高森館とも言う。江戸後期編纂の『柳津村風土記書上』によれば、元は黒木紀伊守という武士の城で、後に葛西氏の家臣千葉太郎左衛門の居城となったと伝えられている。しかしそれ以外の歴史は不明で、発掘調査の結果から推定されている15~16世紀の使用時期の内、黒木氏や千葉氏の城主時代がいつ頃かなど、詳細は全くわかっていない。

 柳津館山楯は、北上川と旧北上川の分流点の東岸にそびえる、標高109mの山上に築かれている。南麓の明耕院のお婆さんに伺ったところ、昔は明耕院の墓地裏から登り道が付いていて、檀家さんの案内で登ったことがあるが、今はどうなっているかわからないと言われた。しかし行ってみると登り道はほぼ残っており、入口付近に若干の薮と途中に多少の倒木がある他は、苦労なく登ることができる。この道を登っていくと、主郭背後(東側)の堀切と鞍部の曲輪群に至り城域に入る。発掘調査報告書の測量図によれば、城内は大きく5つの曲輪群で構成されている。それぞれの曲輪群の頂部に広い曲輪があるが、これら中心の曲輪はいずれも規模が大きく、それぞれ長径70~80m程の大きさがある。これらの中心の曲輪の周囲に多数の腰曲輪群が築かれて、各曲輪群を構成している。報告書測量図で平場A・B・C・D・Eとあるが、ここではそれぞれ主郭・二ノ郭・三ノ郭・四ノ郭・五ノ郭と呼称する。主郭群は、頂部の主郭を中心に同心円状に数段の腰曲輪を廻らし、更に南側に数段の腰曲輪を築いている。主郭は北辺のみ土塁を築き、土塁東端部をL字状に曲げ、櫓台を築いている。腰曲輪とは数mの切岸で区画されるが、西側だけは切岸がなく緩い斜面で腰曲輪に繋がっている。主郭内のやや南東寄りには井戸と池跡らしい水場がある。主郭の腰曲輪群には、前述の堀切沿いと北側の一部にのみ土塁が築かれている。この城では明確な土塁は少なく、主郭群にのみ存在している(近代には城址全体が耕地化されていたので、湮滅している可能性もある)。主郭群の東側は背後の鞍部に当たり、前述の通り箱堀状の堀切とその両側に多数の腰曲輪群が築かれている。ここの一角にも小さな水溜りがあり、水の手があった可能性がある。主郭群の北側には、鞍部の広い曲輪を介して二ノ郭群がある。二ノ郭群も、頂部の二ノ郭を中心にほぼ同心円状に2段ほどの腰曲輪を廻らしている。二ノ郭群の北側から北西尾根に向かって幅広の城道が残っており、五ノ郭群に通じている。五ノ郭群は、舌状曲輪を連ねたもので、その西側側方に城道が貫通している。一方、主郭群~二ノ郭群間の鞍部の曲輪からは西に向かって曲輪が広がり、そこを貫通する大手道を降っていくと、三ノ郭群に至る。三ノ郭群は頂部の三ノ郭の西斜面に、おびただしい数の腰曲輪群を構築している。三ノ郭の東側は、二ノ郭群との間に幅広の堀状曲輪を置いている。三ノ郭群から四ノ郭群までの間は、前述の多数の腰曲輪群を縫う様に、切通し状の大手道がはっきりと残っている。この切通し状の大手道は、左右に腰曲輪群を配置して防御を固め、要所で左右に屈曲して、上の腰曲輪塁線からの横矢掛かりを意識して築かれている。大手道は途中に土塁で木戸口を設けた枡形通路もあり、防御は厳重である。四ノ郭まで降った所で、大手道は西に折れ、やはり切通し状の通路となって西側に降っている。明耕院のお婆さんが、西麓のガソリンスタンドの辺に降りれると言っていたのがこの大手道のことらしい。こちらの大手道両側にも多くの腰曲輪群が築かれ、大手道も左右に屈曲しながら降りている。四ノ郭群は北西に伸びる尾根上にあり、舌状の四ノ郭の北面から西面に腰曲輪群を築いている。この他、主郭群背後の堀切の東に、南から北に向かって尾根が突き出しているが、尾根上は綺麗に削平され、道も残っているので、近世に畑となる以前にも外郭として倉庫ぐらいはあった様な感じがする。

 以上が柳津館山楯の遺構で、それぞれの曲輪の規模が大きく、想像以上に城域が広い。技巧的な部分は少なく素朴な縄張りの城だが、多数の腰曲輪群で防御した切通し状の大手道は出色である。薮も比較的少なく、歩きやすいのも助かる。城の造りと規模を見る限り、多数の兵で守ることを前提に作られた、拠点的な城だったと思われる。それにしては城の歴史が伝わっていないのが残念である。
主郭群背後の堀切→IMG_1426.JPG
IMG_1466.JPG←主郭の池跡?
屈曲する切通し状の大手道→IMG_1559.JPG
IMG_1591.JPG←大手枡形通路の木戸口
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.601780/141.306581/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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