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小山田楯(宮城県大河原町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1267.JPG←主郭の土塁
 小山田楯(小山田館)は、天正年間(1573~92年)に伊達政宗の家臣小山田筑前頼貞の居城であった。頼貞は伊達家中でも勇将として名高く、1588年の大崎合戦の際、政宗は留守政景・泉田重光両将と共に、頼貞を侍大将として派遣した。伊達勢は中新田城を包囲したが、大崎氏の部将南条氏の巧みな用兵と堅守によって落とすことができず、折からの大雪によって伊達勢は撤退を余儀なくされた。これを見た南条氏は城から打って出て、敗走する伊達勢との間で大乱戦となり、殿を務めた頼貞は奮戦の末に討死した。討死した頼貞の墓は、現在「小山田筑前塚」として加美町指定史跡となっている。

 小山田楯は、比高15m程の丘陵先端近くに築かれている。西麓にやや離れて建っている城址標柱によれば、東西100m、南北80m程の楕円形の平場があり、当方の一隅には一辺15m程の物見台と思われる方形壇があると言う。西尾根に取次いて登ってみたが、丘陵上は全く見通しの効かないガサ薮で、辛うじて主郭塁線が確認でき、低土塁らしいものが見られた程度である。とても踏査できる薮の状態ではなく、主郭の一部を確認しただけで断念した。名高い勇将の城にしては、遺構は全く見劣りするのが残念である。土豪の単なる高台の居館という程度のものであったのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.062808/140.714393/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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