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山王堂古戦場(茨城県筑西市) [その他の史跡巡り]

IMG_5420.JPG←謙信が本陣を置いた山王堂
 山王堂の戦いは、1564年に越後の上杉謙信が常陸の小田氏治を破った戦いである。これに先立つ1561年、小田原北条氏の本拠地小田原城を、関東諸将を率いて攻撃し、その帰途鶴岡八幡宮において上杉憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を譲られた。上杉方の関東諸将の中には小田氏治も参陣していたが、謙信が越後に帰還すると、北条氏康による関東諸将の切り崩しが行われ、翌62年に氏治は北条方に付いた。1563年、氏治が府中城主大掾貞国を攻撃して打ち破ると、小田氏と対立関係にあった佐竹氏・真壁氏らは連名で上杉謙信に氏治の背信を訴え、謙信の出馬を要請した。それが引き金となって謙信による小田氏攻撃が行われることとなった。翌64年4月、上野国平井にいた謙信は、出陣要請に応えて軍勢を率いて出陣し、驚くべき速度で進軍し、短時日で常陸国の山王堂に着陣した。あまりの速さに、上杉方の関東諸将・常陸の諸将の援軍が間に合わなかったほどだと言われている。謙信着陣の報を受けた氏治は、慌てて軍勢を整えて小田城を出立し、山王堂近くの芦原に布陣した。間もなく上杉勢の突撃によって戦闘が開始され、小田勢もよく凌いだが、激戦の末に敗れ、氏治は小田城に敗走して立て籠もった。勝ちに乗った上杉勢は小田城を大軍で攻撃し、氏治は藤沢城に逃れ、代わりに残って戦いの指揮を執った小田氏の老臣信太治房は自刃し、小田城は落城したと言う。

 山王堂合戦の際に謙信が本陣を置いた山王堂は、海老ヶ島城の南南東約1.8km、大川東岸の低台地の辺縁部にあった。下館市街から筑波方面に通じる県道14号線からやや西に外れたのどかな農村風景が広がる土地で、往時の光景を想像するのは難しい。両軍がどのように布陣したのかも詳らかではないが、大川を挟んで両岸に対峙したものであろうか。いずれにしても、泥田内での激突であったらしい。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.239955/140.043883/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:古戦場
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