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石崎城(茨城県茨城町) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9367.JPG←主郭背後の大土塁と堀切
 石崎城は、親沢館とも呼ばれ、大掾氏の庶流で石崎保の地頭、石崎禅師房聖道の居城であったと言われている。石崎氏に関わるHPを拝見したところ、平国香の6代後に石河家幹がおり、その長子が馬場資幹、7男が聖道で石崎氏を称したらしい。一方、『日本城郭大系』では城主として石崎幹経の名を挙げている。いずれにしても最初に築城されたのは古く鎌倉時代らしいが、現在残る遺構は戦国期のものと推測され、涸沼周辺の城砦群の一つとして、存続していたものと考えられる。

 石崎城は、涸沼に突き出た親沢鼻(鼻=端の意味)という岬背後の比高25mの丘陵先端に築かれている。単郭の小規模な城であるが、遺構は良く残っている。主郭は背後に大土塁を築き、背後を堀切で分断している。土塁中央部には外側に張り出した櫓台があり、堀底に対して横矢を掛けている。主郭は背後の大土塁以外も全周を低土塁で防御している。大手虎口は西端にあり、堀切脇から城道が明瞭に残っている。また搦手虎口が北東端にあり、その外側には腰曲輪が築かれている。主郭の中には大きな土壇があるが、櫓台の遺構なのか、耕地化による改変なのかよくわからない。簡素な城砦であるが、水運を監視する物見として絶好の位置にあったことが窺われる。涸沼の対岸には宮ヶ崎城が見え、江戸氏と大掾氏の接壌地帯として対峙していたものかもしれない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.279379/140.478101/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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