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東林寺城(茨城県牛久市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_8675.JPG←二ノ郭の大堀切
 東林寺城は、牛久城主岡見氏の支城である。築城時期は明確ではないが、戦国後期の永禄年間(1558~69年)には岡見氏の有力支城として存在し、近藤治部が城主であったと伝えられる。この城については、単に牛久城の支城というだけでなく、牛久城の目と鼻の先に隣接するように規模の大きな城が築かれていることから、小田原北条氏が北総諸豪に交代で牛久城防衛のために在番させた、所謂「牛久番」との関連を指摘する説もある。この説については、東林寺城の地勢や城の形態が牛久番を務めた井田氏の居城坂田城とよく似ている事実が、より示唆的であるとされる。

 東林寺城は、牛久沼に流れ込む稲荷川を挟んで牛久城外郭に向き合う位置にある南北に長い舌状台地に築かれている。主郭の南側3/4と二ノ郭最南端が土取りで消滅しているが、それ以外の遺構は良く残っている。主郭は舌状台地の南西端に位置する方形郭で、前述の通り大半が消失しているものの北東角部のL字状土塁が残り、その周囲にほとんど埋もれているものの空堀跡の窪みが残っている。主郭土塁は藪でわかりにくいが、昭和20年代前半の航空写真を見ると、北辺の土塁中央部が切れており、ここに虎口があったものと推測される。主郭の北から東にかけての周囲は広い二ノ郭で、ほとんどが畑、一部が民家となっている。二ノ郭の北側には三ノ郭との間を分断する大堀切があり、土橋が架かっている。この土橋の架かる虎口部分は、虎口西側の堀切がL字状に内側に食い込み、虎口東側の塁線が段違いとなって、食違い虎口を形成しており、土橋は斜めに架けられている。三ノ郭は広大な曲輪で、全域畑となっている。その様は、坂田城の外郭(四ノ郭)とよく似ている。北側にはやはり大堀切が穿たれ、ここには堀切沿いに大土塁が築かれ、堀切中央部に櫓台が張り出し、堀切が屈曲して横矢が掛けられている。三ノ郭の北に東西方向に長い四ノ郭があり、その北にも堀切が穿たれているが、この堀切は規模が小さく、東端部のみにわずかに横矢掛かりのクランクが見られる。全体に非常に良く遺構が残っているが、堀切部分の藪は未整備で遺構の見栄えが悪い。また主郭付近の遺構の湮滅も、非常に惜しまれる。
三ノ郭堀切の櫓台の張出し→IMG_8730.JPG


 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.959667/140.121474/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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