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内親楯(宮城県白石市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_5559.JPG←東尾根から見た主郭の遠望
 内親楯(内親館)は、「うちごやたて」と読み、伊達氏の家臣宮内氏の居城である。『伊達世臣家譜』によれば、宮内氏は出羽国置賜郡長井荘宮内邑を本領とし、宮内氏を名乗る以前は遠藤氏を称していた。1490年、宮内中務盛実の時に内親楯に移り住んだと言う。その後、伊達市の内訌「天文の乱」が生起すると、宮内宗忠は白石宗綱らと共に晴宗に仕え、その論功行賞により外様より一族に列せられた。1552年、白石川対岸の宮城館へ居城を移した。宮内氏は、その後も相馬氏との抗争や大崎合戦にも従軍して軍功を挙げ、1591年に伊達政宗が岩出山城に移封となると、宮内氏は加美郡色麻に移った。

 内親楯は、白石川と松川合流点南の、標高120m、比高90mの山稜上に築かれている。丘陵先端のピークを中心にした南北に伸びる尾根と、その東に派生した尾根上に曲輪群を展開した規模の大きい城であるが、全山深い藪に覆われていて、遺構の確認は困難を極める。私は、東尾根の東端からと、北尾根の北東端と2ヶ所から登城を試みたが、いずれも深い藪に阻まれて途中で登城を断念した。辛うじて東尾根の曲輪群を途中まで探索できたが、幾つかの平場と堀切1条、それと腰曲輪から上段の曲輪に通じる虎口が確認できた程度であった。東尾根の曲輪群途中からピーク上の主郭が遠望でき、頂部が綺麗に削平されているのは見えたが、それ以上接近することはできなかった。いずれ整備されるとありがたいのだが。
曲輪群を繋ぐ虎口→IMG_5545.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆(藪で減点)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.039321/140.656092/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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