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石尊山新城東尾根遺構〔仮称〕(栃木県足利市) [古城めぐり(栃木)]

IMG_5065.JPG←石尊山山頂の東にある第1堀切
 石尊山新城東尾根遺構〔仮称〕は、石尊山新城〔仮称〕から東に約900m離れた位置に存在する。石尊山の尾根上に堀切らしいものがあると言う情報は、山歩きをしている方のHPで拝見し、それを元に尾根筋を辿ってみた。その結果、合計3本の堀切と曲輪らしい平場が確認できた。石尊山の三角点(標高486.5m地点)のちょっと東の尾根上に中央に土橋を削り残した浅い堀切が2条穿たれ、その堀切付近に腰曲輪らしき平場が見られる。1条目(第1堀切)はわずかな堀切であるが土橋が明確である。2条目の堀切(第2堀切)はしっかり普請されており、土塁も伴っている。そこから更に東に進むと、その先のピーク手前のトレッキングコース北側に腰曲輪らしい平場が広がっており、一部に湧水らしいものも見られることから井戸曲輪であった可能性がある。更にピークの東にももう1条堀切(第3堀切)が穿たれている。確認できた遺構としては以上で、主峰である石尊山山頂には曲輪などの明確な遺構は確認できない。この東尾根遺構は、深高山から石尊山に至る尾根筋の連絡路を防衛する木戸遺構の様に推測される。また尾根の西端に位置する石尊山新城と関連した遺構であろうことも想像に難くない。

 さてここで問題になるのが、石尊山新城の築城主体は誰か?ということである。眼前に小俣城があることから、①小俣城の後方を防衛する小俣渋川氏の支城、②小俣城攻めのために小俣渋川氏の敵性勢力によって築かれた付城(向城)、の2説が考えられると思う。②の場合、小俣城では越後上杉氏の手勢(善氏ら)によって攻撃されたことが伝わっており、その合戦は2ヶ月近くに及んでいるらしいので、その時に上杉方によって築かれた可能性がある。戦国後期に小俣城主渋川義勝は、足利城主長尾政長の妹婿であり、足利長尾氏と密接に連携していたと考えられるので、東尾根遺構は小俣城を攻めた上杉勢が深高山方面からの縦走路を通った足利長尾氏による後詰を警戒して築いたものかもしれない。或いは一時期、小俣渋川氏が足利長尾氏と対立していた事もあったのであろうか。そうだとすると足利長尾氏による小俣城攻めの付城であった可能性も考えられる。
 いずれにしても、山麓から見ると石尊山新城は岩盤の絶壁上に聳えており、往時にそこに旗が林立する様はさぞかし威圧感があっただろうと想像される。
第2堀切→IMG_5072.JPG
IMG_5076.JPG←湧水のある平場
離れて存在する第3堀切→IMG_5085.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.406173/139.397900/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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上沢光綱

こちらも素晴らしい発見ですね。
今は、もう熊とは出て危ないんでしょうか。
はやく冬にならないかと待ち遠しいです。
by 上沢光綱 (2017-06-17 10:30) 

アテンザ23Z

>上沢光綱さん
今の時期は、熊、危険でしょうね。県内も、日光とかあちこちで熊のニュース出ていますので。ただ、有名な山なので、登山している人は結構年間通していると思いますので、リスクは多少少ないかもしれません。
でもやはり、冬のほうが安全ですね。
by アテンザ23Z (2017-06-17 21:41) 

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