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二ッ木楯(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_4851.JPG←ニノ郭側から見た主郭切岸
 二ッ木楯(二ッ木館)は、双樹館とも言い、葛西氏の家臣二ッ木三五郎堯明の居城であったと言われている。二ッ木氏は、元々小野寺氏を称していたとされ、葛西氏の一族石森将監康次が石森楯に拠るに及び、小野寺三五郎堯明が二ッ木楯に住み、ニツ木氏を称して石森楯の後衛に当ったと伝えられる。1590年の奥州仕置で葛西氏が改易になると、二ッ木氏も石森氏・小塚氏(小塚楯主)と共に没落した。尚、『登米郡史』には、1590年に二ッ木三五郎が伊達政宗の軍に囲まれると、二ッ木氏の家臣某が主君を斬って伊達勢に降ったが、政宗はその裏切りを憎んでその家臣某を誅殺したとの伝承が残っていると言う。

 二ッ木楯は、標高36mの丘陵上に築かれている。大きく東西2郭から成り、外周に腰曲輪を廻らしている。西側が主郭で、城内最高所に位置し、周囲を3~4m程の切岸で囲まれた広い曲輪で、祠が祀られており、そこまで参道が整備されている。しかし主郭の大部分は薮に埋もれている。主郭の北側には幅広の腰曲輪が1段、南側には2段程の腰曲輪が確認できる。主郭から東の二ノ郭に向かうと、切岸を降った所が鞍部になっており、堀切としての機能を有していたとみられる。二ノ郭は鞍部より少々高い位置にあるが、面積は小さく、削平も甘い。こちらも周囲に腰曲輪を伴っている。全体に、旧態依然とした縄張りの城で、要害性も高い地形ではなく、居館としての機能を優先させた城だった様だ。一部を除き薮がひどいのも難。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.729665/141.217918/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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