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前川本城(宮城県川崎町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2322.JPG←大手の多重桝形虎口
 前川本城は、中ノ内城とも呼ばれ、伊達氏の家臣砂金氏の居城である。砂金氏の祖は菅原砂金蔵人常重と言い、南北朝時代の初頭に浪人として奥州に下り、砂金邑を領するようになったと言われている。その後、文明年間(1469~86年)に伊達氏に仕え、1574年まで砂金城を居城として勢力を張っていた。1575年、砂金氏8代摂津守左衛門常久が当主の時に、前川本城を築いて移り、以後江戸時代初め頃までの居城となった。11代右衛門右兵衛実常は伊達家一族の家格に列せられ、川崎城を築いて移ったため、前川本城は廃城となった。

 前川本城は、前川と立野川の合流点に突き出した丘陵先端部に築かれた城である。戦国末期に築かれた城だけあって、規模・縄張りともに雄大である。大きく半円形をした二ノ丸の内部の北寄りに、ほぼ方形をした本丸を配置した梯郭式の縄張りであるが、本丸・二ノ丸ともに大きな土塁と空堀で囲まれている。特に二ノ丸外周を巡る空堀は、西側では豪壮な二重横堀となっており、中間土塁の西側上方部分では塹壕状の武者溜まりが形成され、二重横堀を防衛する陣地となっている。またこの城では技巧的な虎口構造も出色で、二ノ丸南西側では櫓台を兼ねた出枡形がそびえ、二重横堀を睥睨している。この出枡形に繋がる城道は竪堀状となっており、数回屈曲して出枡形に繋がっている。またこの城道と並走して、横堀から竪堀が落ちている。また本丸には南の搦手と東の大手の2ヶ所の虎口が築かれているが、大手虎口の手前には空堀を縦横に複雑に絡め、更に幾重にも屈曲する多重枡形虎口を備えた、極めて技巧的な築城技術が投入されている。しかもこの多重枡形には、僅かではあるが川原石による石垣まで残存している。本丸の虎口付近にも川原石が残っており、大手虎口は石垣が組まれていた可能性がある。二ノ丸の東側はこれらの多重枡形虎口と空堀によって、別区画として独立した曲輪となっており、三ノ丸であったと思われる。また二ノ丸内部も、仕切り土塁によって2つの広大な領域に区画されている。前述の多重桝形虎口から東麓へは数個の腰曲輪を連ね、それら曲輪群の側方には大手道も築かれている。この他、二重横堀の西側に続く台地上は家臣団居住地などの外郭であったらしく、ここにも横堀や溝状遺構、二重横堀に通じる虎口などが確認できる。以上の様に前川本城は、多重横堀と複雑精緻な虎口構造を多用した伊達氏系山城の究極形の一つであり、必見の遺構である。これほどの城があまり知られていないというのは、正直言って驚いた。
 なお城跡は、城址公園とは謳われていないが綺麗に整備されており、解説板や標柱も建っている。川崎町があまり積極的にこの公園を紹介していないのは、地権者との合意によるものなのかもしれないが、これほどの立派な遺構を知られずに終わらせてしまうのは、いかにも勿体無いと思う。
大規模な二重横堀→IMG_2116.JPG
IMG_2204.JPG←二ノ丸南西の櫓台兼用出枡形
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.171240/140.631137/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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