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八谷楯(宮城県大和町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1471.JPG←そびえ立つ主郭南端の櫓台
 八谷楯は、伝承では八谷冠者が永禄年間(1558~69年)まで居住したとも、或いは八谷越前守が天正年間(1573~92年)まで居住していたとも言われている。しかし八谷氏についての記録がなくその事績は不明である。一方、勢力圏から考えれば鶴楯城主黒川氏に属していたものと推測され、八谷楯から谷戸を挟んですぐ北の山上に黒川氏の初期の居城御所楯が築かれていることから、八谷楯は御所楯の出城だったと考えるのが自然だろう。

 八谷楯は、東北自動車道脇の比高20m程の南北に長い丘陵上に築かれている。現在は八谷館緑地公園として整備されているが、公園化に伴う破壊を受け、また北半分は東北道の建設で破壊されてしまっており、旧状はかなり変わってしまっている。細長い丘陵を利用しているため、縦に曲輪を連ねた連郭式の縄張りで、曲輪間は堀切で分断している。主要な曲輪は4つで、南から順に笹曲輪・主郭・二ノ郭・三ノ郭と仮に呼称すると、三ノ郭は前述の通り消滅しており、残っているのはそれ以外の3つの曲輪であるが、公園化で土塁などはかなり改変されている。『日本城郭大系』の縄張図には、笹曲輪と主郭の間も堀切があった様だが、ほとんど埋まっている。その上には主郭南端の櫓台がそびえている。主郭内は数段の平場に分かれており、腰曲輪を伴っている。この城で最も明瞭な遺構は主郭北側の堀切で、改変を受けているものの横矢掛かりでクランクした堀の形状がよく分かる。二ノ郭は3段に分かれた平場で城内最大の曲輪である。主郭よりやや低い位置にあり、西側には腰曲輪を伴っている。城の大手は南にあったと推測されるが、そうなると笹曲輪から大手道を登ってすぐに主郭があることになってしまうので、もしかしたら私が二ノ郭としたのが主郭であったかもしれない。そうすると、主郭の方が二ノ郭より低くなってしまうので、判断に迷うところである。城址公園としては、非常に残念な部類に入る遺構の状況である。
主郭北側の堀切→IMG_1509.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.439842/140.914507/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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