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北目城(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_0807.JPG←城址付近の現況
 北目城は、名取郡北方三十三郷の旗頭と呼ばれた粟野氏の城である。茂ヶ崎城主粟野大膳が北目城に移り、天正年間(1573~92年)まで居城した。1600年の関ヶ原合戦の際には、南の上杉景勝と対峙するための伊達政宗の拠点とされた。後に伊達氏家臣屋代勘解由兵衛が置かれたと言う。平成4~5年の発掘調査によって、江戸時代初期の障子堀が確認されており、堀の上幅10~14m、深さ3m以上あったと言う。障子堀ということは、小田原の役の後に北条氏の築城技術が全国の城に導入された一環であろうから、小田原の役後に改修を受けたと推測される。

 北目城は、広瀬川南岸の微高地に築かれた城である。微高地の先端近くに築かれたと考えられ、「館ノ内」などの地名が残っているが、遺構は早くに失われたらしく、昭和20年代の航空写真では既に明確な遺構は確認できない。広い車道の脇に解説板があるのが、城跡を伝える唯一のものである。この解説板に「この遺跡の現状を変えようとするときは・・・」の注意書きがあるが、ここまで何もないと虚しく聞こえてしまう。勿論、前述の障子堀の様に地下には遺構が眠っているのであろうが・・・。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.223280/140.897341/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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