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多良崎城(茨城県ひたちなか市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_0603.JPG←ニノ郭土塁と堀切
 多良崎城は、江戸氏の庶流足崎氏の居城である。元々は、鎌倉時代末期に常陸大掾吉田太郎広幹の3男、三郎里幹が多良崎氏を称し、多良崎城を築いたと言われている。しかし南北朝期に南朝側に付いたため、没落した。その後、江戸通重の次男平沢通村の裔、足立通義・通定兄弟が城主となり、足崎氏を称した。1590年、江戸氏攻略を目指す佐竹義重・義宣父子に攻められて落城し、廃城となった。

 多良崎城は、比高25m程の半島状台地に築かれている。周囲は現在は水田地帯となっているが、往時は真崎浦と呼ばれる湖が広がっていた。即ち、多良崎城は湖上に突き出した半島状台地に築かれた要害であった。遺構は完存しており、城址公園として整備されているので、夏でも訪城可能である。基本的には連郭式の城で、土塁で四周を囲んだ方形の主郭と、その前面に土塁続きの二ノ郭が、数mの段差で連なっている。主郭の西辺内側と二ノ郭内の主郭前面には浅い堀があるが、機能は良くわからない。更に二ノ郭の前面に堀切を介して三ノ郭が広がっているが、削平は甘く郭内は傾斜している。三ノ郭の北西は入江の様になっており、明らかに船溜まりになっていたことが想像される。三ノ郭の西に張り出した尾根先端は、この船溜まりと湖上を監視する物見台であったろう。三ノ郭から細尾根を北に辿ると、やや離れて平坦な平場が広がっており、北の出丸となっており、先端近くに烽火台の土壇が残っている。この他、主郭南側にも小郭と小堀切、主郭の東西に腰曲輪があり、東麓には水の手が残っている。城に続く南側の尾根筋には、2つの木戸跡の表示があるが、明確な遺構は見られない。何を以って木戸跡と特定したのか不思議に思ったが、発掘調査で確認されたものであろうか?比較的単純な構造の要害であるが、中世の湖上の城らしさをよく残しておりお勧めである。
 尚、多良崎城は、その道では有名な心霊スポットらしい。その道の人に言わせると地縛霊がウヨウヨしているらしいが、そんなこと言ってたら中世城郭巡りなんてできないよなぁ・・・。玉砕した城なんて、全国至る所にあるし。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.432211/140.572343/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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