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小場城(茨城県常陸大宮市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6427.JPG←主郭北側の空堀
 小場城は、佐竹氏の庶流小場氏歴代の居城である。最初は、鎌倉時代に佐竹一族の南酒出義茂の子義久がここに館を築いたと言われるが、詳細は不明。その後、佐竹氏10代義篤の子義躬が、この地に本格的に城を築いて、小場氏を称した。以後小場氏10代の居城となった。山入の乱では、小場義忠・前小屋義広兄弟は、1490年に佐竹義舜が山入氏に常陸太田城を逐われて孫根城に匿われた際に義舜に加勢し、兄弟揃って討死にしたと言う。また部垂の乱では、1540年に佐竹義篤が部垂城を急襲して攻め落とし、部垂義元を滅ぼした際に、小場義実がたまたま部垂城を訪れていて巻き添えに遭い、やはり討死にした。1600年、10代義成の時に佐竹領内の再編で小場氏は小田城に移り、小場城には同じ佐竹一族の大山則宗が入った。1602年に佐竹氏が出羽秋田に移封となると、小場城は廃城となった。

 小場城は、那珂川東岸の比高30m程の台地上に築かれた城である。この台地は南北に深く谷戸が入り込んでいて、地形図を見るだけでも要害性の高い地勢であったことがわかる。台地上には西から、西城・本城・御城・中城・城内・根古屋など城にまつわる地名が残っているが、残念ながら遺構自体は耕地化や宅地化でかなり改変されており、湮滅が進んでいる。最も明確なのは台地中央部にある主郭(字本城)で、畑になった主郭の北辺から西辺にかけて深い空堀が残っている。西辺に宅地に入る道があるが、往時の土橋の跡であろう。主郭東側も車道に変貌した堀跡が残り、南側も二ノ郭(字御城)との間の屈曲した堀跡が確認できるが、南側は民有地のため車道からしか確認できない。一方、主郭西側の「西城」は改変が激しく、遺構はほとんど確認できない。また二ノ郭は民有地で進入不能。三ノ郭(字中城)・四ノ郭(字城内)は耕地化でほとんど湮滅しており、わずかに四ノ郭東側の堀跡が台地南端付近に確認できる程度である。結局明確なのは主郭空堀のみで、遺構としてはかなり残念な状態である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.507963/140.392420/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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