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部垂城(茨城県常陸大宮市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6405.JPG←主郭跡の大宮小学校
 部垂城は、佐竹氏の内乱「部垂の乱」の舞台となった城である。元々は水戸城主大掾資幹の後裔河崎頼幹によって、承久の乱(1221年)以降に築かれたと言われているが詳細は不明。その後一時、佐竹氏の家臣大塚豊前守が在城したが、佐竹義俊と弟の実定が争った際には、義俊方の小貫頼定が部垂城を攻略し、以後3代約70年に渡って居城とした。1529年、佐竹義篤の弟で宇留野城主であった宇留野義元は、兄義篤の重臣小貫俊通の部垂城を攻め落とし、部垂城に移って部垂氏を称した。これ以後、「部垂の乱」と称される佐竹氏の内乱となった。その後しばらくの間、義篤は乱を鎮定できなかったが、1540年、義篤は部垂城を急襲して攻め落とし、部垂義元は討死してようやく内乱を鎮定、部垂城は廃城となった。その後、部垂家臣は部垂衆となって小場家寄騎として小場氏に従い、1602年に佐竹氏が出羽秋田に移封となると、小場氏と共に大館城下に移った。

 部垂城は、久慈川西岸の段丘の縁に築かれている。主郭は、現在の大宮小学校の敷地にあったとされ、字古城の地名が残っている。その他は、早くに廃城になったせいか、遺構の湮滅が進んでおり、市街化され寺の境内などに変貌している。僅かに松吟寺の墓地裏の薮の中に、腰曲輪が確認できる程度である。大宮小の脇に立つ城址碑と義元の墓碑が、城の歴史を伝えているに過ぎない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.551983/140.415101/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=gazo1&vs=c1j0l0u0f0
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