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小柴見城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_2876.JPG←僅かに残る二重堀切の一部
 小柴見城は、歴史不詳の城である。城の歴史には二説あり、一つは室町時代に平芝にあった守護所の詰城であったという説、もう一つはこの地の土豪小柴見氏の城であったという説である。平芝守護所の詰城説については、旭城の項に記載する。一方、小柴見氏については、吉窪城を詰城としていた小田切氏に属していたらしく、東北信の国人衆が信濃守護小笠原氏に反抗して戦った1400年の大塔合戦では、小柴見氏は国人衆側の小田切氏の麾下で参戦していたと考えられている。時代は下って1557年、武田軍が葛山城を攻撃した時には、落合氏、小田切氏等は籠城して討死した。しかし『甲陽軍鑑』によれば、小柴見宮内は武田氏に降ったが、1562年に上杉氏に内応したため、武田氏によって成敗されたと言う。しかし小柴見城がどうなっていたかは不明である。

 小柴見城は、旭山山麓の比高50m程の丘陵上に築かれている。城の主要部には夏目ヶ原浄水場が建設されており、かなり破壊を受けているが、城の南端部分だけ遺構を残している。城の主要部が失われているので、どこが主郭であったかも明確ではないが、仮に南端の曲輪が主郭であったとすると、背後に土塁を築いて防御し、その後ろに二重堀切を穿って分断していたらしい。現在この二重堀切は車道建設で破壊されているが、辛うじて1本目の堀切と中間土塁まで残存している。主郭前面には土塁らしき土盛りが確認できるが、主郭内は畑になっている為、耕地化に伴う改変の可能性もある。主郭の南側から東側にかけて、前面を防御する腰曲輪群が残っており、また前述の二重堀切の西側側方にも馬蹄段の腰曲輪が確認できる。遺構は以上の通りで、残っている遺構が僅かなのが残念である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.646764/138.174877/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世平山城
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山村刑事

こんにちは、ごぶさたしています、三年程前に訪れた折、畑で作業中の土地の所有者さんとお話しし、小柴見城の話いろいろと伺いましたが、所有者さんの話では堀切は太平洋戦争の頃に埋められたり、改変されたそうです、また畑を耕していて石が出てくるので、出てきた石は土塁の所に自分で積んでいるとの事でした。所有者さんは旭山城の出城で狼煙台として認識しているそうです。
そして、やたらと小柴見城は難攻不落だとおっしゃっていました 笑
by 山村刑事 (2016-10-16 20:33) 

アテンザ23Z

>山村刑事さん
こちらこそご無沙汰しております。小柴見城は確かに浄水場などが建設されてしまっているので、往時の推定縄張りは想像の部分も多く、本来は狼煙台に毛が生えた程度の小規模な城砦だったのかもしれませんね。二重堀切も近代に手が加えられてしまっていたとすると、どこまで往時の規模を残しているかは微妙かもしれません。
また何か情報ありましたら、コメお願いします。
by アテンザ23Z (2016-10-17 00:26) 

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