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野友城(茨城県鉾田市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_0117.JPG←そびえ立つ主郭切岸と空堀
 野友城は、常陸武田氏が築いた城である。常陸武田氏は甲斐武田氏の一族で、上杉禅秀の乱の際に禅秀方に付いて敗北し、その一族の武田信久が甲斐から逃れて常陸南部に移り住んだことに始まる。常陸武田氏は、永禄年間(1558~69年)になると鹿島氏と抗争しており、野友城はこの抗争の際に北浦の水運掌握の為に築かれたと推測されている。武田氏が、1591年に「南方三十三館の仕置」で佐竹義宣によって滅ぼされると、野友城も廃城になったと思われる。

 野友城は、巴川南岸に突き出した比高20m程の丘陵先端に築かれている。東以外の三方を空堀で囲まれた主郭とその東側下方に築かれた二ノ郭から構成された、比較的小規模な城である。主郭は5m程の切岸でそびえ立った長方形の曲輪で、北西角と北東角に隅櫓台を築き、外周の空堀も比較的規模が大きい。南側の台地基部も主郭空堀と繋がる堀切で二ノ郭まで含めて、大きく分断している。木戸口跡は2ヶ所に見られ、一つは主郭南西側の外郭の土塁に、堀切に降りる形で付いており、もう1つは主郭の北側の空堀の中に、堀内障壁に似た形で築かれている。このことから考えると、主郭外周の空堀は城内通路を兼ねていたらしい。この他、北側斜面に大手虎口付近の斜面には二重横堀が穿たれ、敵の侵入を厳重に阻んでいる。小さな城だが、中々見応えのある遺構である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.146643/140.485504/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世崖端城
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