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小瀬城(茨城県常陸大宮市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7004.JPG←堀切とⅣ郭
 小瀬城は、上小瀬城とも言い、佐竹氏の庶流小瀬氏の居城である。佐竹氏9代貞義の子義春は、南北朝期の常陸南朝方との合戦で戦功があり、上小瀬を分封されて入部し、小瀬氏を称した。小瀬氏の初期の居城は、この小瀬城ではなく高館城であったとも言われている。いずれにしても小瀬氏はこの地を拠点に佐竹宗家を支え続けた。1602年に佐竹義宣が出羽秋田に移封となると、小瀬義行も秋田に移り、小瀬城は廃城となった。

 小瀬城は、緒川を挟んで高館城の対岸にある標高171m、比高81mの南北に長い山稜上に築かれた城である。尾根上に曲輪を連ね、要所を堀切で分断した連郭式の縄張りで、基本的には小舟城と同じ築城構想だが、より規模が大きく曲輪も広く、ある程度の兵力の駐屯も可能な規模となっている。曲輪は主要なものだけで9つある。南東からテレビ中継設備のあるⅦ郭(城内で一番南の曲輪)まで登道が付いているが、Ⅶ郭前面にも数段の段曲輪群があり、土塁や虎口などが残っている。ここから堀切を挟んで曲輪が連なるが、特にⅢ郭前面の堀切は長く、見応えがある。Ⅱ郭と切岸だけで区画された主郭には枡形虎口が築かれている。主郭背後にも堀切を介して曲輪が連なり、特にⅤ郭だけは片側だけを土塁で囲まれている。曲輪名称は『図説 茨城の城郭』に即しているが、この本の縄張図で最北の曲輪とされているⅥ郭の先にも更に曲輪と堀切が確認できる。また主要な曲輪の側方には、この縄張図にない腰曲輪・帯曲輪が散見され、特に城の側方斜面を貫通する武者走りが良好に残っており、特に西側斜面のものは城のほとんどの部分をカバーし、堀切から落ちる竪堀が繋がっていて、各曲輪に繋がる城内通路となっていた様である。小瀬城は、檜沢城の項で記載した通り、佐竹領西方を守る軍事拠点の一つであったと推測されているが、それに違わぬ遺構が眠っている。
西側斜面を貫通する武者走り→IMG_7142.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.614425/140.319850/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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