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渕牛楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_4052.JPG←主郭北西端の円弧状の横堀
 渕牛楯(渕牛館)は、往古は華山城と称し、また『日本城郭大系』では花山館と記載され、俘囚長・厨川次郎安倍貞任の拠った城と言われている。築城はその父安倍頼時によると伝えられ、頼時・貞任父子は鬼切部の戦いで渕牛楯を基地として善戦したと言う。前九年の役で、貞任は猿飛を岩石・丸太で堰き止め、水を湛えて守りを固めていた。1062年夏、源頼義・義家の軍勢2700余騎は裏手の軍沢より渕牛楯を包囲した。貞任軍はよく戦ったが利あらず、貞任は一部の手兵と共に脱出して衣川に退いたが、城兵は全員討死にして落城したと言う。落城後は源氏の家臣佐藤左衛門公清の居城となり、1398年まで佐藤氏が代々支配した。その後、葛西氏、大崎氏に属し、伊達政宗の時に廃城となったと言う。

 渕牛楯は、人造湖である花山湖に突き出た標高250mの丘陵上に築かれている。城跡へは北東麓からのルートや吊橋を渡る南麓からのルート等、複数の登道が整備されている。近いのは北東ルートだが、湖上に浮かぶ山容を写すには南麓からの方が良い。結構急峻な登道を登って尾根に取り付き、北東へと辿って行くと、四阿の建つ小ピークに達する。ここが物見台だったらしく、北側に数段の段曲輪が築かれている。主郭はここから真北に尾根の鞍部を越えた先にある。この尾根の両側には帯曲輪が築かれている。西側には帯曲輪の下に二重横堀が穿たれている。一方、東側のすり鉢状の谷戸にも、円弧を描くように二重横堀が穿たれている。この東西の二重横堀は、いずれも主郭外周の横堀に繋がっている。主郭はハート形をした広い曲輪で、外周に横堀が穿たれている。この横堀は一部は腰曲輪状になっている他、北西から西面にかけては円弧を描いた二重横堀となっている。物見台と繋がる尾根と主郭との間は、浅い堀切で区画され、中央に土橋が掛かっている。土橋の西側の堀切はそのまま竪堀となって腰曲輪に落ちているが、どうも竪堀状の虎口であったらしい。更にその下方にも位置をずらして竪堀虎口が二重横堀に作られており、横堀と連携させた変則的な枡形虎口を形成していた様である。二重横堀と桝形虎口と言えば、出羽置賜地区には数多い、伊達氏系山城の特徴であることから、渕牛楯も元々の創築は別として、最終段階の改修は伊達氏によって行われたと推測するのが妥当と思われる。ほぼ単郭の城であるが伊達氏系城郭の特徴が垣間見れて面白い。
主郭~物見台間の堀切・土橋→IMG_4111.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.783829/140.861775/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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